【ネタバレ感想】さよならの朝に約束の花をかざろう|時間は残酷だけど優しい

©PROJECT MAQUIA

アニメ映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』を観たので、この作品の感想や魅力を書いていこうと思います。

一言で評するには深すぎる物語でしたが、「生きることは年を重ねていくこと」そして「別れは”悪”ではない」と考えさせられた作品。
目先のことばかりに囚われがちな僕たち現代人こそ、真っさらな心で観るべきと思いました。

この記事では「簡単なあらすじ」と「ネタバレなしでの作品の魅力」のあと、僕の個人的な感想を「ネタバレあり」で語っていこうと思います。

未視聴の方がこの素敵な作品を観るきっかけになったり、あるいはすでに視聴した方とこの感動を共有できれば幸いです。

『さよならの朝に約束の花をかざろう』のあらすじを簡潔に・・・

長寿の種族「イオルフの民」。その一人「少女・マキア」が主人公。

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主人公となるのは「イオルフの民」である少女・マキア。

「イオルフの民」は数百年の寿命を持ちながら、外見は十代半ばで成長が止まるという民族です。
当然、他の種族より寿命が長いため親交を持ったとしても、いずれは看取ることになってしまう。そんな理由から「別れの一族」とも呼ばれています。

そんなわけで「イオルフの民」は人里離れた土地で外交を持たず、「ヒビオル」と呼ばれる布を織り続ける生活を送っていました。(「ヒビオル」は価値の高い美しい布でありながら、「イオルフの民」にとっては”日記や史書”のような存在でもあります)

マキアは「ひとりぼっち」でした

マキアには両親がいません。

仲間たちとの交流はある一方で、ついさっきまで共に過ごしていた仲間が自分の隣から離れ、家族のもとに駆け寄っていった瞬間など、日々「ひとりぼっち」を感じていました。

日常が崩壊。突如襲われた「ふるさと」。

ある日、「イオルフの民」は外国「メザーテ」の軍に襲撃を受けてしまいます。
「メザーテ」の狙いは「イオルフの長寿の血」でした。

マキアは「メザーテ軍」の連れてきた古の獣「レナト」の背に乗って、命からがら逃げ延びるのですが、途中で森に取り残されてしまいます。
振り返ったマキアの視界に入ってきたのは「ふるさと」の燃える光景。

ますます「ひろりぼっち」になってしまい、ひとり森の中をさまようマキアでしたが、ここで運命の出会いを果たします。

亡くなった母親に抱かれていた「ひとりぼっちの赤ん坊」。
「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」の運命的な出会い・・・

ふと聞こえてきた赤ん坊の泣き声。
それを辿って出会ったのは「自分と同じひとりぼっち」の赤ん坊でした。

すでに亡くなっている母親に抱きしめられたままの赤ん坊。
マキアはその赤子を放っておけない一心で、母親の腕から抱き上げました。

後先など考えてもいなかったマキアですが、この先は腕の中のぬくもりと共に生きていく他ありません

燃えさかるふるさとに背を向け、赤ん坊を抱いたマキアは「外の世界」へ飛び出していきます。

『さよならの朝に約束の花をかざろう』の魅力は「マキア視点の時間の流れ」

漠然とした感想としては「映像が綺麗」とか「音楽が良い」とか「声優さんの迫真の演技」とか色々あります。

でも『さよならの朝に約束の花を飾ろう』を観て、僕が一番の魅力と感じたのは「マキアを通して見る世界の在り方」でした。

あらすじでもお話ししましたが、「イオルフの民」であるマキアは十代半ばの姿のまま老いません。加えて寿命もすごく長い。
そんなマキアにとって、外界との繋がりを絶った故郷での暮らしは凄く穏やかでゆったりしたものだったと思います。

それが外の世界に出てからは一変したはずです。
ついこの前まで同年代だった人が、気付いたらずっと年上になっていたり。それこそ亡くなってしまったり。

もっとも顕著なのが、マキアが助けた赤ん坊の成長です。
「母親」として育てるわが子の成長はマキアにとって喜びであると同時に、苦しみでもありました。

どんどん成長して大きくなっていく我が子。なのに時間に取り残されていく自分。

そんなマキアの心中や選択に着目し、何よりその行く末を見守るつもりでこの作品を楽しんでいただきたいです。

『さよならの朝に約束の花をかざろう』は(実質)無料視聴できます

僕は普段『U-NEXT』という動画配信サービスでアニメを視聴しているのですが、2019年1月現在『さよならの朝に約束の花をかざろう』を『U-NEXT』で無料視聴することができます。

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『さよならの朝に約束の花をかざろう』は有料動画なのですが、今ならお試し期間に貰えるポイントで観ることができるので、”実質”無料です。詳しくは以下の記事をご覧ください

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※この先ネタバレを含みます
『さよならの朝に約束の花をかざろう』の感想

視聴前は恋愛モノだと思い込んでいました

視聴する前、あらすじを読んだ時点で僕の勝手な想像では、『さよならの朝に約束の花を飾ろう』はマキアとエリアル(マキナの助けた赤ん坊)の恋愛物語だと思い込んでいました。

助けた赤子を母親として育て、成長する我が子の成長に戸惑い、抱いてしまった恋慕と向き合い、そして流れる時間の違いを乗り越えて結ばれる。
そんな、ある意味ありきたりの物語を予想していました。

しかしこれが良い意味で裏切られました。

最後の感動的なシーン。ずっと見た目の変わらないマキアが、年老いたエリアルを看取る場面。

エリアルの手を握るマキアが、「伴侶として」在ったのか、「母親として」在ったのかでは見方が大きく変わってくるはずです。
結果としてマキアは最後まで「エリアルの母親」で在り続けたわけですが、見終わった今となっては、あの形でなければこれほどの感動はなかったのではないかと強く思います。

声にならないほど掠れた、だけど確かに届いたエリアルの「おかえり」。
あえてエリアルだけを映して、声だけで表現したであろうマキアの「ただいま」。
マキアが最後にエリアルに残した「いってらっしゃい、エリアル」という言葉。

穏やかな情景のなか、一つの人生が終わるシーンを、あれだけ希望を残しつつ描かれては涙腺が緩むのも致し方なしです。

「時間の流れ」=「出会いと別れ」。マキアとエリアルが教えてくれたこと。

この作品を観て、生きることは時間が流れることで、時間が流れることは出会いと別れを繰り返すことなのだと感じました。

出会いがあれば、その先には必ず別れがあります。これは誰しもに共通することですが、『さよならの朝に約束の花を飾ろう』ではマキアの視点を借りることで一層に際立っていました。

お別れしたって出会った記憶はなくならない。ならきっと、出会ったことに意味はあるし、出会いと別れを繰り返しながら年老いていくことも素晴らしいことなのだと思われてなりません。

マキアは幸せだったのでしょうか?

ひとくくりに「ハッピーエンド」や「バッドエンド」といった言葉で括りたくはないのですが、やはり感情移入しながら一緒に冒険してきた主人公が、最終的に幸福だったかどうかはすごく気になってしまいます

マキアは運命に従い、「別れの一族」を体現しています。
赤ん坊の頃から育てたエリアルを、当時のままの若い姿で看取ったマキア。これから死にゆく年老いた我が子を前に、マキアは何を思ったのでしょう?

泣かないという約束を守れなかったマキアのシーンからも、悲しみが大半を占めていたのは間違いありません。

でもきっと、それだけではなかったはずです。

最後にマキアが口にした言葉。

「終わりません。私が生きているかぎり、エリアルのヒビオルは続いていくから」

”ヒビオル”はきっと、時間の彼方に記憶が薄れていくことを恐れていた「イオルフの民」たちの象徴だったと思います。
この恐怖は、イオルフの里に引きこもったままでは乗り越えられなかったもののはずです。

記録としてのヒビオルではなく、自分の中に在る思い出や記憶としてのヒビオルに価値を見いだせたことは、マキアにとって大きな成長であり、何より幸福であったはずです。

「笑うだろうよ。お前が苦しいだけじゃない別れを教えてくれたことが嬉しくてな」

マキアがエリアルと出会った場にも居合わせたバロウのセリフがすべてを物語っています。

「別れの一族」であるマキアは、出会いの先にある別れに希望を見つけました。
この先も、もうしばらくは続くであろうマキアの旅路は、きっと幸せに溢れたものになるのではないでしょうか。

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