《葛史エンのプロフィール》生きる意味が分からない僕を救ってくれたモノ

葛史エン
初めまして。プロの小説家を目指している、葛史エンと申します。このページでは僕の生い立ちや、小説への想いなどを書いていこうと思います。
 葛史エン(くずみ えん)
1990年生まれ。
電撃大賞(ライトノベル新人賞)受賞を狙う小説家志望。
現在は工場勤務のサラリーマンですが、「小説」で生活することを目指し奮闘中。
ブログ「en’s study」はその基盤となります。

僕は現在、プロの小説家になるべく執筆と勉強を重ねつつ、「小説」で食べていくためにブログ運営サービス販売にも力を入れています。

プロになるとか、「小説」で食べていくとか。端から見れば大言壮語はなはだしいと思われるかもしれません。

僕自身、少し前までは自分がこんな生き方を選択するなんて、夢にも思っていませんでした。
でも今になって思えば、こうなることが必然だったようにも感じます。

というのも、僕は小説に救われた人間です。

僕は子供の頃からずっと「生きづらさ」を抱えて生きてきました。
そして高校一年の冬、「生きづらさ」に加えて、「生きる意味」が分からなくなった大きな出来事がありました。

そして、そんな息苦しい状態から僕を救ってくれたのが「小説を書くこと」だったんです。

子供の頃からずっと「生きづらさ」を感じていました

僕は極度の人見知りで、とにかくコミュニケーションが下手な子供でした。

幼い頃の記憶は曖昧ですが、ずっと親の影に隠れ、自分から誰かに話しかけたり、積極的に行動を起こしたりすることを避けている子供でした。

そんな僕にも、有り難いことに声をかけてくれる人はいて、そんな人たちにひっついて回っていました。

だけどそんな優しい人たちとも上手く交流できないのが僕という人間です。

人の顔色ばかり窺って「この人は今なにを思っているのだろう」とか、「どんな言葉を選んで話せばいいのだろう」とか考えてしまいます。
言葉が上手く出てこなくて、一生懸命話しても上手く伝わらなかったり、結局何も言えずに終わったりして後悔するばかりでした。

とりわけ ”新しい人” や “新しい場所” が苦手で、初対面の人と話したり、行ったことのない場所に放り込まれたりすると、ものの数十分で疲弊しきってしまう体質でした。
学校の授業で先生に当てられて、皆の前で発言させられる度に心臓はバクバク。文化祭などの学校行事でステージに立てば、血の気は引いて呼吸が苦しくなります。

挙げ出せばキリがありませんが、なかでも一番落ち込んだのが中学の職場体験での出来事でした。
体験先はホームセンターだったのですが、朝礼を見学していたときのことです。
慣れない場所と、大勢の大人たちがいる空間に戸惑った僕は、緊張からくる貧血で倒れてしまったんです。

自分が何か発言をする予定があったわけでもなく、ただ見学していればよかっただけにも関わらず、僕にとってあの場所は苦しい空間でした。

ホームセンターの方たちにも、すぐに車で迎えに来てくれた中学校の先生にも申し訳ない気持ちでいっぱいになったのを今でも覚えています。

学校に通うにも、社会に出て働くにも。
生きていくためにはどうしたって様々なコミュニティに身を投じなければなりません。

些細なことにも過敏になってしまい、自分を上手く表に出すことのできない僕にとって、社会はずっと「生きづらい」ものでした。

「生きづらさ」の側らにずっと寄り添ってくれた幼馴染みがいました

そんな僕ですが、親友と呼べる幼馴染みがいました。

彼と出会ったのは小二のときです。
当時からあまりに頼りない性格だった僕を心配した親が、柔道を始めさせたのがきっかけでした。

同い年の彼とは柔道教室で知り会いました。

小学校こそ別でしたが、僕と彼はすぐに意気投合。

しかし性格はどう考えても正反対でした。
彼はいつも朗らかで快活。そして何より誰からも愛される人柄でした。
誰に対しても分け隔てなく優しく、人懐こくて、相手の懐に自然に入っていくような性格です。

別に僕を相手にしなくても友達に困らないはずの彼ですが、なぜか僕と一緒に過ごす時間が多かったです。
柔道以外にも、一緒の学習塾や書道教室に通っていたので、学校が違っても毎日のように会っていました。

いつのまにか家族ぐるみの付き合いになっていたこともあり、よく一緒に遊びにも行きました。特に彼は釣りが好きだったので、近くの川にはよく連れて行ってくれたものです。

放っておいたら誰とも関わろうしない僕にとって、彼は他の友達との橋渡しでもありました。
上手く自己表現できない僕の手を引いて、自然に人の輪に溶け込ませてくれたんです。

そんな彼は、僕にとって憧れで、ヒーローのような存在でした。

高校一年の冬。「生きる意味が分からない」状態に・・・

そんな幼馴染みの支えもあって、僕はなんとか周りの人たちと上手くやりながら生活していました。
(学校が違うので、小学校や中学校では当然いっしょにはいられませんでしたが、それでも彼の姿を真似るようにして、僕も最低限のコミュニケーションはとれるようになっていました)

ところが、高校生になった最初の冬、僕の人生で最も衝撃的な出来事が起きたんです。

幼馴染みで、親友で、憧れだった彼が、僕たちが高校1年生だった冬に亡くなりました。
あの二文字の言葉を並べたくないので別の言葉を用いますが、自ら命を絶ったそうです。

高校に入学した僕たちは自然と会う機会が少なくなっていました。
柔道教室を卒業し、学習塾なども一緒でなくなったのと、新たに始まった生活にお互い忙しかったのが原因です。
家は自転車で行き来できる距離だったので、その気になればいつでも会えるという考えもありました。

高校一年の冬、夜7時くらいだったと思います。
僕は彼のお父さんに呼び出されました。

「○○(彼の名前)がきみに会いたがっている」

そう言われた僕は、彼が高校生活で何か悩んでいるのではと考え、どんな言葉をかけようか思いを巡らせながら彼の家を訪ねました。

でも待っていたのは彼ではなく、涙するご家族や親族。

彼の姿はなく、よく一緒に遊んだ部屋を占領するように、棺桶が横たわっていました。
飾られた遺影には、あの頃のままの笑顔で、彼が笑っていました。

そこから先は、断片的にしか覚えていません。
呆然としたまま、おじさんとおばさんの話を聞きました。そうしているうちに、彼がいなくなってしまったことを理解して涙が溢れました。

高校生になって会う機会が少なくなっていた僕には、当時の彼が何を思っていたのか正直分かりません。
あの日、おじさんやおばさんにいろんな話を聞きました。そのとき、僕は高校生になってからの彼を何も知らなかったのだと、改めて思い知らされました。
彼が遺した言葉も目にしましたが、彼が最期のとき、何を思っていたのか、最終的には想像するしかありません。

そこに関して、ここに書く気はありませんが、この出来事で僕は2つのことを思いました。

一つは、僕にとってヒーローみたいだった彼も、いろいろ考えて悩み、苦しんでいたということ。

思えば、彼に繊細な一面があることは僕も分かっていました。けれど、それを凌駕して余りある強さを持っていると、弱い僕は勝手に決めつけていたようです。

そしてもう一つは、僕は案外冷たい人間だったということです。

常に人の気持ちを汲み取ろうとする僕に対する周りの評価は、「話すのが極端に苦手だけど優しい人」といったものだったはずです。現に「優しい人」と言われたことは何度もありました。

でも実際はそうじゃなかった。

あんなにも無二と思っていた親友がいなくなっても、僕は案外平気でした。
もちろん悲しかったし、今でもよく彼を夢の中に見ます。彼がいたことを忘れることはこの先ないし、これを書いている今だって心臓バクバクで呼吸も苦しいくらいです。

でも、それだけでした。

もともと高校に入ってから会えていなかったこともあって、僕はすぐにもとの高校生活に戻っていきました。
ガランの心にあるのは「彼がいなくなった」という認識だけ。僕の通っていた高校には、彼と共通の知り合いもいなかったので、目に見える日常は、本当に何も変わらなかったんです。

とにかく虚しかったです。人が一人いなくなって、それでも世界は何も変わりません。
そのなかで、のうのうと過ごせてしまった僕はきっと冷たい人間なのだと思いました。

誰かにとって大切な一人でも、世界にとっては数字の上での一人です。

憧れだった彼でさえ生きられなかった世界。自分の弱さや冷酷さを認識してしまった僕は、果たしてそこに生きる意味があるのかと考えるようになっていきました。

「生きる意味」は分からなくてもとりあず息を繋いできました

あの日から「生きる意味」を考えるようになった僕ですが、死にたいと思ったことは一度もありません。
幼馴染みがいなくなったのにつくづく薄情だと自分でも思いますが、むしろあの日以降、「あんなこと」はあってはいけないと思い続けています。

命の価値がどうとか、そういう難しい話をするつもりはありません。

周りの人が悲しみ、何より痛いくらいのやるせなさに苛まれるからです。

誤解を恐れずに言いますが、周りの人を納得させられるだけの理由もなしに「あんなこと」はしないでもらいたいと心底思います。(納得する理由なんて有り得ないことだとも同時に思っていますが)

うまく言葉にできませんが、生きて今ここ在るということは、とても尊いことだと思われて仕方ありませんでした。

そんなわけで、僕は普通に高校を卒業し、普通に大学に進学。そして普通に就職しました。
死ぬ気は微塵もなくても、「生きる意味」は分からないので、ただただとりあえず生きていました。

「生きる意味」を持たず過ごすには限界があります

社会人になった今も相変わらず人と接するのが苦手な僕ですが、幸運なことに職場では人に恵まれました。
お世辞にも仕事が出来るとは言い難い僕を、それでも受け入れてくれる優しい人ばかりの職場で今は働いています。

でも、それでも。やはり心のなかでは「生きる意味」を問い続ける日々が続きました。

このままここで働き続けることに意味はあるのか?
いつか恋人ができて、結婚して、そして子供ができれば生きる意味を見いだすことができるだろうか?

今の職場は好きですが、正直仕事そのものにやりがいを感じているわけではありません。

好きな人を見つけ、結婚して、子供を持つ。人間も動物である以上、それが一つ正しい答えであるとは思うけど、僕にはそれもしっくりきません。人間は動物であると同時に、それ以上の何かがあるように思われるのです。

大学生のときは、数年先の就職という “人生の節目” がひとつありました。

でも就職した今は、それがありません。仕事の技術を磨く気概もなく、昇進なんて望んでもいないのが僕という人間です。

このまま、何十年もただ「生きる意味を」探しながら、なんとなく生きていくのかと思ったとき、ついに限界が訪れました。

「あぁ、やはりこのままではいられない」

そう思った僕は、自然と小説を書くことと向き合いました。

「生きる意味」を考えたとき自然に浮かんだのが「小説を書くこと」でした

この先どう生きていくか。

何に「生きる意味」を見いだすか悩んだとき、自然と浮かんだのが小説を書くことでした。

小説は大学生の頃に書き出していましたが、当時は深く考えず、時間があったからなんとなく書いていただけです。

実は僕はすごく飽きやすい性格で、何事も長く続けられませんでした。
柔道こそ教室に通っていた惰性もあって、小二から高三まで継続できましたが、そういった強制力のないところでは、てんでダメ。

柔道は黒帯を取れたのを節目に高三でやめて、大学では弓道をやってみようと考えました。
しかし、弓道部に見学に行った僕は、そのひりついた雰囲気に尻込みし、見学だけで入部を断念。その後、所属していた学科(僕は工学部出身です)の勉強会サークルに入りましたが、ここではほぼ幽霊部員。

趣味としても色々やろうとしたのですが、バスケは友達とのお遊び程度、料理は数回で飽きてしまい、ピアノは電子ピアノまで買ったのに楽譜も読めずに諦める、といった有様でした。

思えばこの頃は「何かをしなければならない」という強い思いがあって、何か始めることで「生きる意味」を見つけようとしていたんだと思います。

そんな中、小説の執筆だけはなぜか続けることができていました。

当時は「生きる意味」と呼べるほどのものではありませんでしたが、自分で書いた小説を投稿サイトに載せて、誰かが読んでくれたり、感想をくれたりするのが嬉しくて毎日書いていました。

さすがに就職してからは書く量が減っていた小説ですが、それでもずっと続けていました。

だから、職場での未来に絶望して、自然と「本気で小説を書いてみよう」という考えが浮かんとき、きっとこの時のために僕は小説と出会っていたのだと思ったんです。

そして、単にプロを目指しているだけでは「小説」で生活していくのは難しいと考えた僕は現在、電撃大賞(ライトノベル新人賞)受賞を目指しつつ、ブログを運営して小説で生活していくことを目指しています。

人の「生きる意味」はきっと「創作すること」にあります

現在の僕は、小説を書き、小説について学び、そしてブログを通じてそれらを発信することにやりがいと幸福を感じています。

僕の生きる意味はここにあったのだと、しみじみ感じる毎日です。
(今はまだ会社勤めですが、辞める意向は上司に伝えてあるので、そう遠くないうちに独り立ちするつもりでいます。)

そんな生活を始めてすでに一年以上が経過しましたが、なぜ僕が小説を書くことに「生きる意味」を見い出せたか、最近になってわかってきた気がするんです。

それは、僕にとって小説は、生きることに対する発露だったということ。

思えば、僕の書く小説の主人公たちはみんな、生きづらさを抱えています。そのくせ、足掻きながらもどこか生きることに前向きです。

これはきっと、僕の根底にある「表現したいこと」が作品に現れているのだと思います。

小説を書くのは楽しいことばかりではないけれど、ふと救われる瞬間があるんです。

それは主人公たちが “物語の答え” を見つけたときだったり、

自分でも気付いていなかった自らの一面を作品を通じて知ることができたときだったり、

何より読んでくれた人に自分の中の “何か” が伝わったときだったりします。

きっと、人は “表現すること” に喜びを感じるようにつくられているのだと思います。

はるか昔から人は、何かを創作することで表現し続けてきました。

洞窟の壁に描かれた絵も、土器に刻まれた模様も、時代ごとに変容し続ける絵画も、文字だけですべてを体現しようとする書物も、世界中で愛され続ける音楽も。

すべて、単に生命活動を続けるだけなら不要なものです。
それでも長い歴史上、人はずっと何かを表現し続けてきました。

そして現代は節目の時代です。ネットワークが広がり、AIが生活に浸透しつつあります。
遠くない未来で、人が働かなくても良くなったとき、人はいっそう「生きる意味」を問われることになるはずです。

僕が考える「人の生きる意味」は2つあります。

一つは、種を繋ぐという生命としての確実な正解。

そして、もう一つが、恐らく正解だと僕が信じていること。

表現者たることです。

僕が表現者たるための手段は「小説を書くこと」でした。

だからこの先の人生をかけて小説家で在り続けようと思います。
それが、僕にとっての「生きる意味」になりました。

僕のこんな自分語りを、ここまで読んでくれた方がもしいらっしゃれば、今からでもぜひ “表現者” になってもらいたいです。

手段は小説でなくても構いません。絵でも、音楽でも、スポーツでも、何でも。

小説を選んだ僕は今後、小説家としての腕を磨きつつ、ブログを通して小説の魅力を世に広めたい。
そしてその上で叶うなら、小説で自分を表現できる人も増やしていきたいと思っています。

この『en’s study』というブログで、その道を探り続けていくつもりです。

未来へ

僕が幼馴染みと最後に会ったのは、地元の小さな無人駅でした。

高校1年生の秋です。
柔道部のみんなと駅で集合し、試合会場に向かう予定だったのですが、几帳面な性格の僕は30分以上前にやって来ていました。

冬の訪れを予期するような肌寒さを未だに覚えています。
なんとなく駅には入らず、外で待っていた僕は、遠くから歩いてくる人物が彼だとすぐに気付きました。

少し遅れて、彼もこちらに気付きます。
大きく手を振り、小走りで駆け寄ってきた彼は、小学生の頃のようにじゃれついてきました。

彼が乗る電車までに時間が無かったので、交わした言葉はいくつもありません。
数ヶ月もの間、会っていなかったにも関わらず、それは何気なさ過ぎるやり取りでした。
話した内容はひとつも覚えていないけど、あの日、彼と話したことは一生忘れられません。

田舎の無人駅。小さな入り口へ歩いて行く彼の後ろ姿を今も鮮明に覚えています。

あの日の彼の倍近い年齢になった今も、あの背中に追いつけた気はしないけど、この先の人生も彼の面影を思い出しながら進んでいこうと思います。

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