三題噺「2日目」のお題は「刺・職人・荷車」

みんなで「三題噺」の企画。
本日は第2回となります。

詳しくは以下の記事をご覧ください。

【初心者歓迎!】小説を書く練習として「三題噺」を書いてみませんか?

2019.04.13

それではさっそく。
今回のお題は以下の3つ。
(出題には『どこまでも、まよいみち』というサイト様の『三題噺スイッチ改訂版』を使用させていただきました)

昨日の「鯨・暦・アスパラガス」より難しくないですか・・・?
もしかして、三題噺ってどんなお題でも難しいのではと2日目にして思う今日この頃です。

ではさっそく書いてみようと思います。

お題「刺・職人・荷車」

私は親のぬくもりを知らない。

誤解のないよう言っておくが、育児放棄されたわけではないし、ましてや親の顔を知らないわけでもない。ちゃんと優しい両親に育てられた。

ただ、その腕の中のあたたかさを知らないというだけで。

両親は旅の行商者だった。

別の街の市場や、時には個人から値打ちモノを買い取り、そこに色を付けて別の者に売る。そういう旅の行商者は決して珍しくない。

私も子供のころ、そんな親の同業者をよく目にした。

初めて羨ましいと思ったのは、そんな同業者が子供を負ぶって行商に励んでいるのを目にしたときだった。

子連れの親は、子を負ぶってあやしながら仕事をするものだと、そのときに知った。知ったが、私にはそんな記憶は一切なかった。

行商に使う両親の荷車は、ちょっと特殊だった。商品を載せるスペースの一部に、子供が座るための空間があった。つまるところ両親の荷車は、乳母車も兼ねていた。

私はいつもそこに載せられ、旅の景色を目に焼きつけ、そして両親が街で行商に励むのを眺めていた。

ひどく居心地の良い場所だった。そこには確かなぬくもりがあった。両親に負ぶってもらえることはなくても、その場所だけは他の子が持っていない、私だけの特別だった。

私も親になった。だから、あの頃の両親の気持ちが今もは分かる。

受け継いだ荷車を引きながら、ふと荷台を見やった。

双子の我が子たちと、ぱちりと目が合って、笑った。

この子たちが生まれたとき、私はとある職人を訪ねた。この荷車をつくってくれたという職人だ。探し当てるのに数ヶ月かかった。

優しく年老いたその職人は、私の話を聞くと、快く荷車を修繕してくれた。私専用だった空間を、双子用につくり変え、古くなった生地も取り替えてもらった。生地にはかなり奮発して、職人に上物を手渡した。職人はいかにも嬉しそうに、うん、うんと何度も頷いてくれた。

苦労した甲斐あって、子供たちはその空間をとても気に入ってくれたようだ。

街に入り、通りがかりに菓子を買い与えてやると、無邪気に喜んでくれた。こちらまで嬉しくなるような光景だ。

「幸せだなぁ」

自然とそんな言葉がこぼれる。

両親と同じように、私も子供たちを負ぶってあげることはできないけれど、この愛を伝える術はちゃんとある。そんなふうに、きっと私も両親に育てられたのだから。

ハリネズミのジレンマ。

ハリネズミは自らのトゲのせいで、愛しい者にも触れられないという。

それを痛感した日もあったけど、そんな言葉を笑い飛ばせるだけの今が、確かにここにある。

了(タイムオーバー、執筆時間27分と少し、1035文字)

感想

久々に一人称を書きました。(久々というか、一人称はほとんど書いたことないのですが・・・)

昨日はすぐに書き出すことができたのですが、今日は5分くらい悩みました。
3つのお題がなかなか結びつかなかったですね。

話の内容としては、自分で書いといて何ですが僕好み。
ただ、これで読者に伝わるかは不明。

キモは語り部がハリネズミだったということですが、読み返してみると伏線がなさすぎますよね。
「行商”人”」でなくて「行商”者”」と表現されているところくらいですが、これも微妙なところです。
まあ、今から書き加えようと考えたとしても、アイデアは皆無です。

そして、またもやタイムオーバー。今日は書き切ってみましたが、やはり30分くらいが妥当と思わなくもないです。
とはいえしばらくは20分の制限でやってみようと思います。
継続するのが一番。書き切りたかったら、今日のようにオーバーしてでも書き切ります。

みなさんのご参加をお待ちしています。
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