小説などの物語を構築する際に度々耳にする「カタルシス」。
簡単に言えば、溜に溜めた鬱憤を解放することによって精神が浄化され、読者は満足感を得ることができるということです。
今回はこのカタルシスを科学的な面から見ていき、さらに小説におけるカタルシスについて考えてみようと思います。
参考書:デイヴィット・マクレイニー[著]、安原和見[訳]2014『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』二見書房(リンクは最後に載せておきます)
[toc heading_levels=”2,3″]カタルシスの意味は?
カタルシスの語源は、ギリシア語のタイレイン(kathairein)なんだそうです。
意味は「浄化する」とか「きれいにする」といったもの。
溜め込んだものを吐き出し浄化すべき。そういう考えを主張したのはアリストテレスとのことです。
当時、プラトンが「詩や演劇は人々に愚かさを吹き込み、バランスを失わせる」と唱えていました。
これに対し、「いやいや、むしろ逆でしょう」と異議を唱えたのがアリストテレスです。
人が悲劇にあがいたり勝利に導かれるを見ることによって、観客は代償性の涙を流し、あるいは男性ホルモンの高まりを感じる。そしてそういう感情を吐き出すことによって、人はバランスを取り戻すというのである。
『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』256ページより
これは共感いただけるのではないでしょうか?
物語に触れたとき、
困窮に苦しんだ末にはどうか成功を収めて欲しい、
強大な敵に打ちひしがれても最後には勝利して欲しい、
数々の壁にぶち当たった男女もいつかは結ばれて欲しい、
と願うのは自然なことではないでしょうか?
人の心はきっと、精神の浄化「カタルシス」を望んでいるのです。
「カタルシス」に関する実験①
1990年代、アイオワ州立大学の心理学者ブラッド・ブッシュマンは、「カタルシス」について次のような実験を行っています。
目的
当時、ストレスや怒りを効果的に対処するには、モノを殴ったり怒鳴ったりしなさいという考え方が主流でした。(自己啓発本などにて)
ブッシュマン氏はこの考えに疑問を持ち、実験を行ったとのことです。
実験方法
被験者となるのは180人の学生たち。
まず、彼らを3つのグループに分けます。
グループ1:中立の論文を読ませる。
グループ2:怒りを吐き出すのは有効だというでっちあげの論文を読ませる。
グループ3:怒りを吐き出すのは無意味だというでっちあげの論文を読ませる。
次いで全員に、強い感情を喚起するテーマで小論文を書かせます。(”妊娠中絶”をテーマにしたそうです)
被験者の学生には「小論文の採点は別の学生にしてもらう」と伝えられたのですが、実はこれが嘘で実際は、
半分は「たいへんすばらしい」、
残りの半分は「こんなひどい作品は読んだことがない!」、
という評価が下されます。
つまり小論文の内容は関係なく、自分の小論文を褒められた側と貶された側に分けたんですね。
当然、貶された側は怒りを溜め込むことになります。
ブッシュマン氏は最後に、被験者の学生たちに「いまやりたいこと」を選ばせます。
選択肢は”ゲームをする”、”コメディを見る”、”物語を読む”、”サンドバッグを殴る” などといったもの。
結果
3つのグループ分け、そして褒められるか貶されるかによって、学生たちの「いまやりたいこと」はどう変わったのでしょうか。
結果は以下のようになりました。
- 怒りを吐き出すのは有効という論文を読み、その上で貶された学生は”サンドバッグを殴りたい” という答えた割合が高かった。
- 3つのどのグループでも、褒められた場合は”非攻撃的な活動”を選択した。
2については、そもそも怒りを溜めていないのですから、「暴力による怒りやストレスの発散」を求めないのは理解出来ますよね。
面白いのは、”怒りを吐き出すのは無意味”だという論文を読んだ学生も、「暴力による怒りやストレスの発散」を求めなかったことです。
要するに、
つまり、カタルシスが役に立つと思うと、それを積極的に求めたくなるわけだ。
『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』259ページより
ということが明らかになったわけです。
「カタルシス」に関する実験②
ブッシュマン氏は更なる実験を行っています。
目的
①の実験で怒りを感じ、”サンドバッグを殴りたい”と答えた学生は、果たしてサンドバッグを殴るという暴力行為によって怒りを解消できるかどうかを確かめます。
方法
基本的には①の実験と同じ方法。
実験②ではさらに、「こんなひどい作品は読んだことがない!」と小論文を貶された学生を2つのグループに分けます。
1つ目は、貶された後にサンドバックを殴ったグループ。
もう一方は、貶された後に2分間じっと座っていたグループ。
次いで彼らには復讐の機会が与えられます。
小論文を貶した相手とゲームをし、勝ったら罰を与えられるというものです。
ゲーム内容は、相手より早くボタンを押すという単純なもの。
勝てば相手に大音響を浴びさせられるのですが、被験者の学生はその音量を調節できます。
つまり、サンドバッグを殴ることで、怒りやストレスが解消されていれば、学生は音量を小さく設定するでしょうし、逆に解消されていなければ音量を大きくすることで復習するでしょうから、それを確かめたんですね。
結果
音量の設定は0〜10(10で105デシベル)の範囲で可能だったそうです。
結果は、
- サンドバッグを殴ったグループは、平均して8.5の音量に設定した
- 2分間じっと座っていたグループは、平均して2.47の音量に設定した
となりました。
随分と如実に結果に出ましたね。そして意外な結果ではないでしょうか?
怒った学生は、サンドバッグを殴っても怒りを解消できるどころか、それによって逆に怒りは維持されたわけだ。いっぽうで座って頭を冷やしたグループは、そのあいだに復習したいという欲求を失っている。
『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』260ページより
暴力行為ですっきりた気になっていても、実際は怒りを解消できていないわけですね。
カタルシスに関する実験から分かること
安易にカタルシスを求めてはいけない
カタルシス、つまり鬱憤を吐き出すことが有効だと考えていると、腹が立ったときそれを求めがちになります。
しかし、鬱憤を吐き出したところで怒りは解消されず持続し、攻撃的な行動をとりがちになって、また怒りを解消しようとカタルシスを求めることになります。
これでは延々と怒りを溜め続けていくことになります。
ですから、ストレスや怒りを感じたとき、安易にカタルシスを求めてはいけません。
ガス抜きをするのがくせになると、それに頼るようになるのだ。もっとましな方法がある。それは、ガス抜きをいっさいやめてしまうことだ。怒りのなべをこんろからおろしてやるのだ。
『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』261ページより
怒りのエネルギーを運動などの活動に向けるのは間違っている
実験では、怒りを感じたときに運動などの活動をしても鬱憤は解消されませんでした。
ですので、怒りを感じたときにはリラックスし、攻撃的ではない活動をして気を紛らわすのが良さそうです。
では小説における「カタルシス」は?
それでは小説におけるカタルシスも意味のないものなのでしょうか?
いえ、決してそんなことはないでしょう。
『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』では次のように述べられています。
カタルシスは人をすっきりさせてくれるが、それは言ってみればハムスターのまわし車のようなものだ。カタルシスを求める原因になった感情は、その後もそのまま残っている。カタルシスでいい気分を味わっただけに、その感情を何度でも吐き出したくなるだけなのである。
『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』262ページより
ポイントは”カタルシスを求める原因になった感情は、その後もそのまま残っている” ことです。
今回ご紹介した実験では、サンドバッグを殴っても怒りが解消されませんでしたが、これは原因となる問題そのものに向き合わず、言ってしまえば八つ当たりしていることが良くないのではないでしょうか?
つまり、小説のカタルシスを考える際には、カタルシスを求めることになった根本の部分を完全に解決することを意識しなければならないのです。
とにかく敵を倒す、主人公とヒロインが結ばれる、夢を叶えるといった結果のみを提示するだけでは、読者は完全なカタルシスを得ることができません。
物語を通して表現したテーマや心情的な部分、抱えた問題などをすべて完璧に浄化してこそ作品の魅力は生まれるはずです。
おわりに
ということで今回は「カタルシス」について、
- 現実世界ではカタルシスを安易に求めてはいけない。
- 運動や暴力よりも、リラックスル方向でカタルシスしていこう。
- 小説で考える際は、すべての問題を取り除いて読者を満足させよう
といったお話でした。
一つ言い添えておきたいのですが、今回の参考書では運動でカタルシスを求めてはいけないと述べられていましたが、運動そのものはストレス発散に繋がるはずですので、私的には積極的に行って欲しいところです。
あくまで、問題から逃げるような八つ当たりの行動が良くないという解釈をしていただければと思います。
参考記事:ストレス対策としての運動
それではみなさん、ここまで読んでいただきありがとうございました!