齋藤孝先生の『型破りの発想力』を引き続き読んでおります。
前回の記事では日本人のクリエイティブ性はアレンジ力にあるよーというお話をしました。
今回は自分たちが日々クリエイティブであるために、どういった心持ちでいるべきかということを学んでいこうと思います。
参考書:齋藤孝2017『「型破り」の発想力 武蔵・芭蕉・利休・世阿弥・北斎に学ぶ』祥伝社
クリエイターが心しておくべき3つのこと
『型破りの発想力』(以降”本書”とします)では齋藤先生の考えるクリエイターの持つべき思想が述べられております。
さすがは齋藤先生というべきか、私も痛く共感させられましたのでご紹介しようと思います。
それが以下の3つです。
- 発想の原動力は「世の中の総幸福量を増やす」ことにある
- 「勝負意識」と「理想の追求」を両立させる
- 創造する「勇気」を持とう
それでは、それぞれ見ていこうと思います。
発想の原動力は「世の中の総幸福量を増やす」こと
発想の原動力は、突き詰めると「世の中の総幸福量を増やす」ことだと、わたしは思います。実際、ビジネスにおいても、文化においても、幸福の絶対量を増やしていくためにこそ、人は新しいものを生み出しています。
(21ページより)
人間は集団で生きる生き物です。”誰かの役に立ちたい”という欲求は誰しもが持つものだと思いますし、私たちはそういうことにこそ、大きな幸せを感じるのではないでしょうか?
私は小説家志望ですので、その視点から考えを述べさせていただきます。
”誰かのために”が大事と言った直後ではありますが、まず大前提として私は、読者に迎合する小説を書きたいとは思っていません。
私は私なりの作品を世に送り出したいと願っているのであって、それを万人に受け入れて欲しいわけではないのです。このような考えのクリエイターは決して少なくないと思います。
しかし、です。
自分の書いた小説が誰にも受け入れられず、自己満足に満足できるかと問われれば、それは難しいでしょう。
小説に限らず、クリエイターによる多くの作品は、誰かに見られてこそ、その存在を確立できます。
情報伝達のツールの一つとして生まれた文字を媒体にした小説では、とりわけそれが顕著だと思います。
作者が自分を表現したいと願う一方で、読者なしに小説の存在はありえません。
「この一文を読んだ読者はどんなことを想起するのか?」
「このダイアローグは読者にどういった印象をあたえるのか?」
「このストーリーの結末は読者に受け入れられるのか?」
こういった配慮なしには良い小説は生まれないのです。
いかに自己表現を第一に考えようとしても、人の根底にはやはり世間に認められたいという思いや、自分の作品で誰かをほんの少しでも幸せにしたいといった願いがあるはずです。
こういった人間特有の価値観を意識することも、モチベーションを保つためには必要なことなのかもしれないと今回考えさせられました。
「勝負意識」と「理想の追求」を両立させる
「勝負意識」とは何かに勝ちたいという意志です。(”何か”はライバルや社会、あるいは自分自身といったもので、人それぞれです。)
「理想の追求」とは将来自分がどうありたいかという願いを持ち、邁進することです。
「勝負意識」と「理想の追求」はクリエイターにとって、どちらもなくてはならないものです。
そのくせ、この2つは相反することが極めて多いですよね。
究極の理想ばかり求めて短期的な勝負をしないでいると、理念ばかり語って、現実には何の役にも立たないという人になってしまいます。実際、立派なことばかり言っているけど、現実的にはまったく新しいことを生み出せない人がいます。
反対に、短期的な勝負意識が強く、目の前のことに追われるような仕事ばかりしている人は、ストレスで仕事自体を嫌いになってしまったり、目的を見失ってしまったりする危険性があります。(26ページより)
「勝負意識」は短期的で、「理想の追求」は長期的です。
創作活動においては、モチベーションを保ちながら良い作品を生み出すことが求められます。
そのためにはまず「追求すべき理想(ゴール)」を掲げます。そして遙か遠くにあるゴールのみを見定めるのではなく、長い道のりの上に「自分なりの通過点」を作ることが必要です。
短期的な「勝負意識」は短いスパンで私たちに達成感を与えてくれます。
その小さな積み重ねが長期的な「理想の追求」に繋がっていると考えれば、私たちは高いモチベーションを維持しつつ、創作活動に取り組めるのではないでしょうか?
「勝負意識」と「理想の追求」。一見相反するこの二つを上手く両立していくことも、クリエイターに求められるスキルの一つなのです。
創造する「勇気」を持つ
先ほど「勝負意識」は大事というお話をしましたが、勝負するのにはどうしたって勇気が必要です。
自分より優れた人に挑んだり、他人からの評価にさらされたり、弱い自分と向き合ったり。こういった勝負に挑むのに勇気が必要であることは、みなさん経験則で理解しているはずです。
本書では「知(智)・仁・勇」という言葉を引き合いに出しています。
この言葉の源流は儒教の祖である孔子の「論語」に見られる「知(智)の人は迷わず、仁の人は憂えず、勇の人は懼れず」という言葉です。知のある人は頭がよく判断力に優れているので惑わない。仁の人は、真心があり他人に誠実に接しているので憂いがない。勇の人は、勇気があるので何事が起きても慌てたり恐れることがない、という意味です。孔子が徳の中でもとりわけ「知・仁・勇」という三つを重んじたことから、「三徳」とも称されます。
(29ページより)
齋藤先生のお考えでは、日本人は「知」と「仁」には優れているが「勇」に欠けているとのこと。
これに関しては日本人のイメージを考えると納得ですよね。
加えて「勇」とは「覚悟」のことだと述べられており、私はこれは良い表現だなと思いました。
「無謀」と「勇気」は異なるものです。「真の勇気」には「知」と「仁」が必要だと私は思います。だとすれば、私たちは「真の勇気」を手にする素養を持ち合わせているのです。
そうやって手にする「真の勇気」を言い換えるとすれば、「覚悟」という言葉はひどくしっくりきます。
みなさん、「知」と「仁」に加え、私たちは「覚悟」を持って創作活動に挑もうではありませんか!
おわりに
というわけで、クリエイターの心の在り方について考えてきました。
前回のような、どちらかといえば現実的な手法も大切ですが、見過ごしがちな心の有り様も極めて重要です。特に創造という活動は心に大きく作用されるものですしね。
私も今回学んだ3つのことを大切にしながら小説を創っていきたいと思いました。
それではここまで読んで頂いてありがとうございました!