今回はシェイクスピアの名言をご紹介します。
参考書は『心にのこる言葉』です。
本記事では著者の小野寺先生と私の考察を綴っていこうと思います。
参考書:小野寺健2010『心にのこる言葉 ベストセレクション162』ちくま文庫
本日の名言
God hath given you one face and you make yourselves another.
From “Hamlet” by William Shakespeareひとつの顔は神があたえてくださった。もうひとつの顔は自分で造るのだ。
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)
イギリスだけでなく全世界を代表する詩人・劇作家。『ハムレット』『リア王』『オセロ』『マクベス』『嵐』など。(98ページより)
私の思うこと
今回の名言はシェイクスピアの『ハムレット』からのものです。
まず断っておかねばならないことがあります。私は『ハムレット』を読んだことがないということです。
ですので今回の考察はご紹介した名言のみからの思考となります。
それでは見ていきましょう。
第一印象で私が感じたことを挙げます。
- 「顔」とは何を指すのか?
- 「ひとつ」と「もうひとつ」ということは、私たちの持てる「顔」は2つのみ?
- 神が”あたえてくださった”「顔」。自分で”造る”「顔」。神と自分は同列か?
最も重要なのは「顔(face)」という単語をどう捉えるかですよね。
文字通りの「顔」。あるいは「性格」、「才能」、「生きる道のり」など、解釈の仕方によってはいろいろと考えられます。
「神からあたえられた」ことから考えると「命」も有りかと思いますが、それだと「自分で造る命」についても解釈が必要になりますね………
この「顔」ですが、「もうひとつは」という部分から考えると、どうやら私たちが生涯で持てるのは2つのみのようです。
ということは、いくつも積み上げていく類いのものではなく、人生を通して造る(あるいは高める)ものと考えられます。
また、この一節のみから考えると神と自分(人間?)は同等の存在として扱われているように思われます。
神があたえた「ひとつ」という一見不可侵のものに、自分で「もうひとつ」造って並べることを許容しているのですから。
あるいは、「神のあたえたもの」と「自分で造るもの」は同類ではあるがイコールではないという可能性もありますね。
以上のようなことから総合的に考え、私はこの名言を次のように解釈します。
- 神のあたえた顔=命、自分で造る顔=人生
- ”神は命を与えてくださった。そこから先の人生は私が造るのだ”
”顔”という言葉は”代表”だとか”象徴”だとかいった捉え方ができます。
この名言の”顔”は”シンボル”を指すのではと私は考えました。
シンボルとは掲げるものです。つまり人生を賭してシンボルを掲げようという解釈です。
私たちは人生を歩むための命を与えられました。それを使ってどうやって歩み、そしてどんなシンボルを掲げるかを、私たちは選ぶことができるのです。
著者による見解
それでは次に『こころに残る言葉』での見解を簡潔にまとめます。
- ここだけ切り抜くと、いろいろなことが言える言葉である。
- いい顔とわるい顔というものは人生のなかで自分で造るもの。
- 生まれつきの顔立ちがわるくても、心惹かれるいい顔になる人もいる。
- 美人、美男に生まれても、嫌な奴という印象の顔になる人もいる(こちらの方が多い気がする)。
- 顔が良い人は幼い頃からもてはやされ、いざ実力を問われる年齢になると何もできない。そうやって卑屈な顔になっていく。
- これは顔の造形に限った話ではなく、才能にも同じ事が言える。
- 長い目で見ると偽物は通用せず、本物は評価される。
最後の部分はそのまま引用させていただきます。
いい顔になったかどうか、これは自分ではなかなかわかるまい。そもそも、そんなことを気にしているようでは、いい顔になんかなれはしないだろう。
自分にこだわりすぎて、人からどう見られているかといったことばかり考えていてはだめなのである。やはり、わかりきった結論になってしまった。スポンサーリンク(99ページより)
おわりに
著者の小野寺先生は名言を素直に捉え、そこから深い考察を行っていますね。
私のは深読みしすぎでイマイチ要領を得ませんね……
答えのないこととはいえ、小野寺先生の方がより良い教訓を得ているように思えます。
”わかりきった結論になってしまった”と謙遜されていますが、いい顔になるためには本物になろうという考えは、なんとなく感じていてもなかなか意識できないことです。
みなさん、私たちは本物を目指して、いい顔を造っていこうではありませんか!