今回は小説『キノの旅』の「大人の国」について、考察を交えた感想を書いていきます。(アニメも視ましたが、小説の感想と考察が主体です)
僕は小説家志望でして、感想記事は訓練も兼ねているので、文章から深読みするスタイルで書いていくつもりです!
[box class=”yellow_box” title=”ネタバレ注意です!”]この記事は、キノの旅「大人の国」を読んだ(視た)ことのある人に向けて書いています。物語の核心に触れるネタバレも含みますのでご注意ください。[/box]
もし『キノの旅』を読んだことのない方は、ぜひ一度読んでみてください!
物語として面白いだけにとどまらず、とても考えさせられる名作です。
「大人の国」を含めた六話の短編が収録されている『キノの旅 ”Ⅰ巻”』
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僕はアニメ版を今回初めて視ましたが、クオリティ高くて驚きました。色彩豊かで、原作の雰囲気も出ていて最高です。そして、小説ではどうやっても聴けない「少女キノの歌」も聴けます。
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定額制でアニメや映画、ドラマが見放題なサービスで、僕も利用していますが使い勝手もかなり良い感じです。
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目次から目を通していただけると内容が把握しやすいかと思います↓
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キノの旅「大人の国」テーマは『主人公キノの誕生』
「大人の国」は、『キノの旅』という作品の起源といっても差し支えないほど重要なお話です。
この記事では『主人公キノの誕生』という観点で、「大人の国」を読んでいこうと思います。
「少女キノ」と「先代キノ」
さっそくのネタバレで恐縮ですが、『キノの旅』の主人公である「キノ」は元々違う名前の少女でした。
「大人の国」で暮らしていた少女は、国を訪れた「キノ」という男性と出会います。少女は「キノ」に命と引き替えに助けられ、その果てに自ら「キノ」と名乗るようになりました。
”名乗る”というよりは”成り代わる”といったニュアンスが近いかもしれませんね。
(ややこしいので当記事ではオリジナルの男性を「先代キノ」、おなじみの主人公キノを「少女キノ」と表記させてもらいます)
少女キノの旅のスタンスである「同じ国には3日しか滞在しない」というルールも先代キノから引き継いだもののようですし、「安くてシャワーのあるホテル」を所望するあたりもそうです。←後者については少女キノの元来の性格かもしれませんが・・・
元々は「キノ」じゃなかった少女。
少女が「キノ」になる前にどんな境遇で生きてきて、そして先代キノと出会ったことでどう人生を変えられたか。「大人の国」ではそれが物語られています。
まさに『キノの旅』の起源とも言えるお話なのです。
小説『大人の国』は「少女キノの一人称+主人公キノの回想」
「大人の国」は少女キノの”私”という一人称で語られていきます。
加えて、子供の頃の少女キノのものではない”回想”も何度か登場します。これはおそらく『キノの旅』の主人公として旅をしている、現在時間の”旅人キノ”のものです。
その時私はなんて呼ばれていたのか、実はもう覚えていない。
『キノの旅 Ⅰ巻』168ページ
冒頭の一文です。”私” がかつての名前を覚えていないという描写ですが、「もう覚えていない」というのは現在のキノからの視点ですよね。
しかし、現在旅をしているキノの一人称は”ボク” なのに対し、「大人の国」では”私” となっています。
以上の事から「大人の国」は、現在時間のキノ(主人公)が昔の自分の視点に入って物語っていると考えられます。
つまり、各国を旅しながら新たな価値観を築いている最中のキノが、”旅人キノ”の原点ともいえる過去の自分を振り返っているのが「大人の国」なんです。
ちなみにアニメ版では冒頭と終盤に現在のキノを登場させることで”主人公キノの回想感”を演出しています。真っ赤な花畑で、花びら舞うなかキノとエルメスが会話するシーンなのですが、雰囲気が最高です。「大人の国」の内容を知った上で見ると、感慨めいたものも生まれますね。
”大人になる手術” を当然と思っていた少女キノ
「大人の国」でキーポイントとなるのが”大人になる手術”です。
”大人になる手術”を簡単にまとめると以下のような感じです。
[aside type=”boader”]- 12歳になったら頭を開けてその中の子供を取り出す手術を受ける。
- すると、一晩で”大人” になれる。いやなこともできるようになる。
- 12歳の誕生日前の一週間は「最後の一週間」と呼ばれる。
- 国の人間は、「最後の一週間」の子供に話しかけてはいけない。(子供から話しかけるのはOK)
- ↑の理由は、子供が誰からも干渉されず、子供としての”最後”を孤独に過ごすため。
- (アニメ版では”特別なお菓子”を毎日一つ食べられる。)
”頭を開けて”という描写から、外科的な手術であることが推測されます。
手術をすると”いやなこともできるようになる”とのことなので、脳のどこか、特に感情をつかさどるような部分に手を加えるのかもしれません。
僕たちの倫理観ではとんでもないことのように思えますが、少女キノはこれを当然としていました。
つたない説明を終えた私に、キノは言った。
「なるほどね。でもずいぶんと乱暴な話だなあ」
「え? なんで乱暴なの? 手術のおかげでどんな子供でも、ちゃんとした大人になれるんだよ」
私は聞いた。その時の私には本当に疑問だったからだ。手術でちゃんとした大人にならないのなら、将来一体何になるのだろう? そう思った。『キノの旅 Ⅰ巻』177ページ
国民全員が常識としていて、そのなかで暮らしていればこんなふうに感じるのも自然なのかもしれません。
いわゆる”お国柄”を主人公キノの視点を借りながら、そのギャップを楽しめるのが『キノの旅』の醍醐味でもあります。
「少女キノの常識」に”問い”を投げかけた先代キノ
「最後の一週間」にあった少女キノの前に現れたのが、旅人として国を訪れた先代キノでした。
彼は少女キノと触れ合うなかで、だんだんと少女キノの考えを改めさせていきます。
ちゃんとした大人、って何なのか?
それは手術でなれるものなのか?
そういった”問い”を投げかけ、更に少女キノに”理想の生き方”を提示します。
先代キノの生き方は「旅を、好きなことを、やりたいことをする」こと。それを”仕事”と称するかどうかは別として、そんなふうに生きています。
「じゃあ、キノは一体何なの?」
するとキノはこう答えた。
「ボクかい? ボクは『キノ』さ。キノって名前の男。それだけかな。そして旅をしている」『キノの旅 Ⅰ巻』177,178ページ
「大人の国」で一番の名言がここだと僕は思いました。
果たして少女キノの考えは、先代キノと出会ったことで大きく変わることになります。
私は考えた。
そして、なんとなく思った。
ずっと子供のままでいたいとは思わないけれど、もし大人になるのなら、自分でそうなりたいと。無理矢理の他の人と同じように大人になるのではなく、速度や順番はバラバラでも、自分自身納得する方法で、自分自身納得する、納得できる大人になる。仕事だって、自分の得意な、好きな、もしくは両方のものを選びたいな、と。『キノの旅 Ⅰ巻』180,181ページ
どこを取っても想いに満ちた表現ばかりですが、下線を引いた箇所がとりわけ秀逸だと僕は思いました。
なんとなく思った→納得する方法で→納得する→納得できる、というように少女キノが迷いながらも自分で思考し、変わっていく様が描かれています。
成長した少女キノの行動。それを阻む”ちゃんとした大人”たち。
少女キノの変化は”成長”と位置づけて良いと思います。
成長した少女キノは両親に「手術を受けることなく大人になりたい」と伝えました。
しかしそれを聞いた両親は激昂し、少女キノに罵声を浴びせます。
それを聞いた瞬間、私の両親は悪夢でも見ているような表情をした。そして父親がいきなり、怒鳴った。
「バカヤロウ! なんてことを言うんだ! この罰当たりが! い、今までみ、み、みんなが立派な大人になってきた手術をお前はバカにするのか! 大人をバカにするのか! それとも大人にならないで、一生ガキのままで生きていくつもりか!」『キノの旅 Ⅰ巻』181ページ
とても常識ある大人の言葉遣いではありませんよね。勢い余って言葉に詰まる様子もあり、「大人の国」の”ちゃんとした大人”こそ”実は子供”なのではと思わされるシーンです。
このときの両親の様子について、主人公キノは以下のように回想しています。
今までみんなが、そして何より自分達が無理矢理されたことを、抵抗ができなかったからこそ素晴らしいことと思い込む。心の平穏を保つための防衛手段だったのではなかったかと。
もっとも手術されなかった私が言えたことではないが。スポンサーリンク『キノの旅 Ⅰ巻』182ページ
ここは個人的にかなりグサッときました。置かれた立場を正当化して、思考を放棄することで自分を守ることは誰でもやってしまいがちだと思います。
主人公キノはこういった人間の機微を客観的に見られるようになりました。
「もっとも手術されなかった私が言えたことではない」と語られていますが、むしろ「手術を受けない選択をできた」からこそ、そういう考えで見られるようになったはずです。
ここもまた、主人公キノの成長具合が垣間見えますね。
少女キノは、旅に出る。引き換えに失われた先代キノの命。
我が子が国のしきたりに離反したことを受け、両親の怒りの矛先は先代キノへ向けられます。
ヒステリックに怒りをぶつけられながらも、それを飄々と受け流す先代キノ。呆れた様子も見せながら、出国することを告げました。
別れを口にする先代キノに対し、少女キノはそれを惜しみます。
「もう行っちゃうの?」
私が、後二、三日いたら? と聞いた。もし私が手術を受けたら、その後どういうふうにキノと話すのか知りたいと思った。大人になって、キノと話をしてみたいと思った。『キノの旅 Ⅰ巻』186ページ
少女キノは、両親の様子から自分には手術を受ける道しかないのだという一種の諦めを受け入れている様子です。
それでもなお、先代キノと対等に話をしたいと望むのですから、出会ったばかりの自由な旅人に対し、並々ならぬ憧れを抱いているのが窺えますね。
ところがここで事態はさらに急変。なんと少女キノが両親に殺されそうになります。
曰く、子は親の所有物なのだから、それが失敗作の場合、親には処分する権利があるとのこと。
ますますもって”ちゃんとした大人”の定義が揺らいでいきます。というか、はっきり言って下種としか表現しようのない言い分ですよね。
包丁の切っ先を向け、我が娘に突進する父親。
思わず助けに駆け出す先代キノ。
本当は先代キノの助けは間に合わないはずで、少女キノはそれを察していました。
なのに、果たして包丁を突き立てられたのは先代キノでした。父親は”不慮の事故”をよそおって、先代キノを亡き者にしようともくろんでいたようです。
その様子を少女キノはどこまでも淡々と描写しており、このシーンはひどく印象的です。
キノが包丁ごと仰向けに倒れた。どさっと言う音が聞こえた。動かなくなった。そして私には、その時キノがすでに死んでいるのが分かった。
『キノの旅 Ⅰ巻』188、189ページ
無感情に、ただただ単調に事実を描写することで、少女キノの呆気にとられた様子を描いています。
まんまと気にくわない相手に報復した父親は、へらへらと、わざとらしく”不慮の事故”であったことをアピール。さらに国の大人たちも、みんなそれに賛同する始末です。
そんな様子を前に、少女キノは更なる核心に至りました。
私は、たとえもうすぐ殺されても、手術を受けないで、『ちゃんとした大人』にならないで死ねることを嬉しく思っていた。
『キノの旅 Ⅰ巻』190ページ
はっきりとした個を持ち、死を覚悟した少女キノでしたが、この後エルメスに乗って「大人の国」を脱出し、旅に出ることになります。
先代キノが最後にくれたプレゼントは「生きたい」という選択肢
目の前では、父親がキノに、いや、キノの死体に刺さった包丁を抜こうと引っ張っていた。なかなか抜けないので母親も手伝い始めた。柄が血で滑るので、布を巻いて少しずつ、ずっ! ずっ! っと引き抜いていく。
今思うと、その時間は、キノが最後に私にくれたプレゼントのような気がする。『キノの旅 Ⅰ巻』190ページ
キノがエルメスに飛び乗って走り出すまでのシーンの描写です。
”今思うと”というのは主人公キノが当時を振り返っているということ。
そして先代キノがくれた”最後のプレゼント”とは、キノとエルメスが初めて会話した時間のことでしょう。
先代キノに刺さった包丁がなかなか抜けず、この間にキノとエルメスは初めて会話したわけですが、ある種自問自答に近い言葉がキャッチボールがされています。
エルメスが「このままだと死ぬだろう?」と問い、少女キノは「手術を受けるより死んだ方がまし」と答える。
「死にたいのかい?」と問われ、「できれば、死にたくない」と答え、最終的にはエルメスの「逃げるんだよ!」というセリフに繋がります。
少女キノが「死にたくない」「生きたい」と自ら選択する時間を、先代キノは最後にプレゼントしてくれたのです。
加えて先代キノが持ち込み、そして”治した”エルメスがいなければこの会話も生まれず、そもそも「大人の国」を逃げ出すこともできなかったわけですから、先代キノが少女キノにもたらしたものは計り知れません。
「自分で大人になりたいという想い」「自由に生きる事への憧れ」「命」「生きたいという選択」「相棒エルメス」などなど、いくつも出てきます。
これらはすべて『キノの旅』という作品そのものにつながっていくわけですから、やはり「大人の国」は数ある中でも重要な物語と言えそうです。
ちなみにキノとエルメスの会話の間、背景となる地の文では「ずっ! ずっ!」という包丁を引き抜く音が何度か描かれるのですが、これが上手く時間を切りとって緊張感をもたらしています。巧みですよね。
「大人の国」でキノとエルメスは”治された”?
最後にキノとエルメスは先代キノによって治されたというお話をしようと思います。
エルメスは先代キノによって「大人の国」に持ち込まれました。そのときは壊れていて意識はなく、先代キノによって”治されて”いくことになります。
”治す”という表現はけっこう重要でして、作中では「モトラドの『治し』」みたいな表現で何度か登場します。
また、少女キノの「直るの?」という問いに対し、先代キノは「治すのさ」と答えているので、”治す” と ”直す” を明確に使い分けているのは確実です。
一般的に”治す”は、生き物の病気などに使う言葉。
モトラド(エルメス)はバイクなので機械ですが、意識を持っているから”生きている”。よって”治す”という表現が使われていると考えるのが普通ですが、もう少し深い意味もあるのかと思いました。
それが先代キノは少女キノも”治す”ことになるということ。
少女キノが「大人の国」の常識にとらわれ、「ちゃんとした大人」になろうとしている様を病気とみなし、それを先代キノは治していったのではないかと思います。
結果的に、先代キノは少女キノを生まれ治し、さらに相棒となるエルメスを与えて旅立たせることとなりました。
感想:”大人になること”と”生きること”を描いたのが「大人の国」
「大人の国」では手術を受けた”ちゃんとした大人”が、これでもかというくらい下種に描かれています。
行動や言動はもちろんですが、地の文でも「犬みたいに吠える」や「壊れたように叫ぶ」といった表現が多く見られます。
これは「嫌なこともちゃんとできる大人」ではなく、先代キノように「好きなことで自由に生きる大人」が大切だと描きたかったのかな、と僕は感じました。
もう少し踏み込むと、作者の時雨沢先生の「小説を書くという”好きなこと”で生きていく大人になる」という決意も込められた作品なのかと感じました。1巻ということもあり、そういう初心も込められているのではないかと愚考します。
まあ時雨沢先生がどういう意図で書いたにせよ、「大人の国」から得られる教訓は多いはずです。
この先10年で、今ある仕事の半分くらいはAIで代替できるみたいな話もあるようですし、なにより僕たちの命には限りがあります。
「大人の国」を読んで(視て)何か感じたのであれば、「大人の在り方」や「自由な生き方」を考え直してみる価値もあるのではないでしょうか?
そんなことを感じた『キノの旅』の「大人の国」でした。
こちらの記事もぜひ読んでみてください!(キノの本名についても少し触れています)
→『キノの旅「優しい国」』の感想と考察
□『キノの旅』1巻より「大人の国」
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