今回は『キノの旅 Ⅱ巻』より「優しい国」の感想と考察になります。
主に小説を読んでの感想ですが、アニメ『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』の「第10話 優しい国」についても触れようと思います。
[box class=”yellow_box” title=”ネタバレ注意です!”]この記事は、キノの旅「優しい国」を読んだ(視た)ことのある人に向けて書いています。物語の核心に触れるネタバレも含みますのでご注意ください。[/box]
もし読んだことのない人は『キノの旅 Ⅱ巻』に収録されていますので、ぜひ読んでみてください。
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また、アニメ版も素敵にまとまった仕上がりになっているのでオススメです。小説の中でキノが”照れくさそう”に着ていた「エプロン姿」も登場します。
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目次から目を通していただけると内容が把握しやすいかと思います↓
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「優しい国」のテーマは『キノとさくらの生き様の違い』
「優しい国」のカギとなる人物は間違いなく「さくら」という少女です。
キノとさくらには似通った点が多くあります。
[aside type=”boader”]- キノの本名は花の名前(正式にはまだ明かされていません)。「さくら」も花の名前。
- 名前をもじってからかわれた経験がある。(さくら→オクラ、ねくら)
- さくらは11歳か12歳くらい。キノの子供時代の話である「大人の国」では、キノは12歳の誕生日だった。
- どちらも両親がホテルを経営している。
明らかにキノとさくらを対比するようにつくられているのが「優しい国」という物語なのです。
キノとさくらは「似ている」けど「本質は異なる」?
キノとさくらの共通点を挙げましたが、これらは表面上だけのことであり、思うにキノとさくらの本質は大きく異なります。
そしてそれこそ、作者が「優しい国」で表現したかったことの一つなのではと思います。
キノがさくらに自分を重ねるシーン
まずはキノがさくらに自分を重ねるシーンを見てみます。キノとさくらの会話です。
まずはさくらが話を切り出しました。「キノ」という名前が「短くて響きがよくて呼びやすくてすてき」だと言うのです。
それに対し「自分も昔そう思った」と答えるキノ。これに関しては「大人の国」と繋がっていますね。
「昔? 今は?」とさくら。
ここからの会話と地の文が重要になります。
キノはふっと笑って、さくらへと視線を下げて言った。
「今もそう思っている。いい名前だって。でも、『さくら』って名前も響きがいいね。どんな意味?」『キノの旅 Ⅱ巻』180ページ
ここではキノも自然体の印象。
ところが、さくらの次の一言で雲行きが変わります。
さくらははにかみながら、
「お花の名前。春に咲く、ピンクのきれいな花」
「へえ……」
キノが短く言う。『キノの旅 Ⅱ巻』180、181ページ
「へえ……」というセリフ、三点リーダ(……)が添えられていることに何か含みを感じませんか?
先ほどまでの朗らかな様子とは変わってきています。おそらく「さくら」が花の名前だと知って、キノはかつての自分を重ねているのでしょう。
続けて・・・
さくらは今度は少しふくれて、
「でもね、友達から ”オクラ” とか、 ”ねくら とかからかわれるんですよ。やんなっちゃう」
「…………」
遠くを見る目で黙るキノに、〈以下略〉『キノの旅 Ⅱ巻』181ページ
「名前をもじってからかわれる」という更なる共通点を告げられ、キノはついに沈黙してしまいます。
キノの様子がおかしいことに気づいたエルメスがどうしたのか尋ねると、キノは次のように答えました。
キノはすぐに言った。
「なんでもない」
そしてこうつけたした。
「説明できるようなものじゃないよ」『キノの旅 Ⅱ巻』181ページ
これは「大人の国」を読んだ(視た)ことのある人なら、なんとなく察せられるのではないでしょうか?
明らかにキノはさくらにかつての自分を重ね、複雑な感情を抱いています。
※もし「大人の国」を知らない方はぜひご覧になってみてください。この話を知っているかどうかで、「優しい国」の受け取り方も大きく変わってくるはずです。
「キノの本名は”さくら”説」。多分違うと思います。
キノの本名はまだ明かされていません。
「大人の国」ではキノの本名が、赤い花の名前であること、もじると悪口になること、×××××という表記から5文字の可能性があることなどが明らかになっていますが、まだ特定はされていないようです。
先ほど紹介した「優しい国」でのキノとさくらのやりとりから、「キノの本名は”さくら”ではないか?」という説もあるようですが、僕はそうでないと思います。
なぜなら、キノはさくらに「『さくら』の名前の意味」を尋ねています。もし自分の本名が『さくら』だったとしたら、わざわざ尋ねる必要はありませんよね。
加えて、『さくら』が花の名前であると聞かされる前は朗らかな様子を見せていて、様子がおかしくなるのは『さくら』が花の名前であると知った後のことですので、そのことからもキノの本名は『さくら』ではないと考えます。
個人的にはよく言われている「ポピー」ではないかと思っていますが、実際のところどうなのでしょうね?↓
実在しない花ということも考えられますが、『さくら』という実在する花を持ちだしていることからも、おそらく現実にある花であると思います。
キノとさくらは「似て非なる者」
さて、ここが最も重要です。
たしかにキノとさくらには共通点が多くありました。
しかし、決定的に異なる部分があります。
それが「キノは国を出て旅人になる生き方を選んだが、さくらは故郷に残って最期を迎えることを選んでいること」です。
「優しい国」は火砕流に見舞われる運命にあり、国民達は「逃げる」か「国と最期を共にするか」の選択を迫られた末、国といっしょに滅びることを選んでいます。
これは大人達の決定であり、さくらは何も知らなかったと告げられたキノはやるせない思いになりますが、その直後に見つけたさくらからの手紙によって、さくらもまた自らの意志で国に残ったことが明かされました。
キノがさくらにプレゼントした種。それを返すと共に添えられた手紙。
『これはわたしが持っていてもしかたがありません。あなたのです。
お気をつけて。
わたしたちのことを、忘れないで。
さくら』『キノの旅 Ⅱ巻』220ページ
かつて国を出る選択をした自分とは違う、さくらの決断を知ったたキノは何を思ったのでしょうか?
キノはコートを羽織った。帽子をかぶり、ゴーグルを首にかける。ちょうどその頃、太陽がゆっくりと姿を現し始めた。森の緑と紅と黄色が鮮やかに映える。キノは目を細めて、ゴーグルをはめた。レンズが反射して、キノの表情を隠す。
スポンサーリンク『キノの旅 Ⅱ巻』221ページ
キノが普段通りの旅に戻っていく様子が、ひどく視覚的に描かれています。
最後に添えられた「キノの表情を隠す」という表現は、読者にキノの表情を想像させるためのものでしょう。
かつての自分を重ねた「さくら」という少女との出会いと別れに、キノは何を思ったのか? それは僕たち読者に委ねられています。
【余談】パースエイダー・スミスのおじいさんは「師匠」の弟子?
少し余談になりますが、「優しい国」にはとても含みのある人物が登場しています。
それがキノのパースエイダーを整備した「パースエイダー・スミス」という人物。彼はキノが師匠から譲り受けたパースエイダー『カノン』を目にして次のようなセリフを残しています。
「驚いたよ……、本当に驚いた。長生きはするものだな」
『キノの旅 Ⅱ巻』188ページ
このセリフからはスミス氏が『カノン』を知っていたこと、そして再会できたことを喜んでいることが読み取れます。
加えて、キノとの会話の中でスミス氏は「昔、仕込んだ自分の教え子に、自分を ”師匠” と呼ばせている、凄腕の有段者がいた」という話をしています。
『キノの旅』シリーズでは、キノの師匠とその弟子の、若かりし頃のストーリーが描かれることがあるのですが、ここで話題になっている「凄腕の有段者」とは師匠のことです。
そして、もしかしたらこの”弟子”というのがスミス氏の可能性もありますね。
ただ、「自分の教え子」というのがキノを指している可能性もあるので何とも言えません。
仮に「スミス氏=弟子」だった場合、彼は「優しい国」のお話で亡くなっていることになってしまいますがはたして・・・?
「優しい国」の感想と考察
「旅を自由に生きるキノ」と「故郷に生きたさくら」
それでは本題に戻って「優しい国」の感想と考察を書いていこうと思います。
ここまでお話ししたように、「優しい国」はキノとさくらを対比するための物語であると思います。
名前や、両親がホテルの経営者であることなど、キノとさくらには多くの共通点が存在しました。
その上で、キノとさくらは明らかに違った人生を自ら選択しています。
キノは「大人の国」で両親に殺されるか、エルメスと逃げるかの選択を迫られ、旅人となって国をでる決断をしました。
対するさくらは「優しい国」で火砕流に巻き込まれて死ぬ未来を知っていた上で、キノと一緒に旅に出るという選択肢を捨てています。
旅人となって自由に生きることを選んだキノと、故郷を愛して運命を受け入れて死んでいったさくら。
「大人の国」では自分の好きなことで自由に生きていくことの素晴らしさが描かれたように思います。
一方で今回の「優しい国」では、生まれた場所や与えられた立場をまっとうする生き方も存在し、もしかしたらそれもまた幸せな生き方なのではないか、ということが描かれたのではないでしょうか?
僕個人としては「大人の国」でキノが下したような決断こそ素晴らしく、幸せに生きていく方法なのだと思います。
でも今回のさくらのように、与えられた運命を受け止め、今の立場を愛する人生も有りなのかもしれないと今回はすごく考えさせられました。
あなたはキノの選択とさくらの選択、どちらが幸せだと感じたでしょうか?
「優しい国」を出た後に真実を知ったキノは何を思ったか?
キノは「優しい国」を出た後に、さくらの両親の手紙によって真実を知りました。
「何も知らない娘も一緒に連れて行く」と告げた手紙に対し「これはエゴだ」とうめくようにつぶやいたキノ。
「エゴ」という一言は、両親へ向けてのものではないかと思います。
キノは何も知らされないまま死んでいくさくらに対し、やるせなさを感じていたのではないでしょうか?
キノはきっと、さくら自身に国を出て生きるか、国と共に運命を受け入れるかの選択をして欲しかったのだと思います。
そういう意味での「エゴだ」という感慨だったはずです。(※原作小説を読んだ時点では僕はこう思っていたのですが、アニメ版を視て少し感想が変わったのでそれは後述します)
しかしその直後さくらからの手紙によって、さくらもまたかつての自分と同じように自らの意志で「決断を下した」のだと知りました。
その後の文章に、キノの感情を直接表現する箇所は見られません。この記事の中でも挙げた「レンズが反射して、キノの表情を隠す」という部分がその象徴です。
でもこのときキノは、少しだけ救われた想いでいたのだと僕は思います。悲しみはある一方、さくらの決断を尊重し、キノもまた自らの決断で手にした旅を続けていこうと、そんな様々な感情の入り混じった表情をしていたと思います。
【追記】アニメ版オリジナル「ボクはさくらちゃんを預けられなくてホッとしている」。このセリフで少し見方が変わりました。
アニメ版では両親からの手紙を読んだキノが「ボクはさくらちゃんを無理矢理に預けられなかったことにホッとしている」という旨の発言をしています。
これは原作小説にはないセリフです。
アニメ版で、どういう経緯があってこのセリフが付け加えられたのか分かりませんが、僕はこのセリフを聞いて考えがひとつ変わりました。
原作小説を読んだ限りでは、キノはさくらを無理矢理にでも自分に預けて欲しかったのだと読み取っていました。
キノは確実にさくらに感情移入していたと思うし、さくらや「優しい国」に対して安らぎのようなものを感じていたはずです。
それは、キノが珍しく寝坊したシーンや、「ひとつの国の滞在は3日」という絶対のルールを曲げようとした姿からも窺えます。
キノはきっと、自分が得られなかった故郷の温かさを、さくらを通じて「優しい国」に感じていたのだと思います。
だからこそ、そこまで想い入れてしまったさくらには生きていて欲しかったとキノは願ったのだと、僕は思っていました。
でもそれは違っていて、アニメ版のセリフを聞いてからは、キノはさくらに「何も知らないままであっても、この子にはこの優しい故郷で生をまっとうして欲しい」と思ってしまったのではと考え直しました。
「これはエゴだ」という発言も両親だけに向けたものではなく、そんなことを思ってしまった自分自身にも向けられたセリフだったのかもしれませんね。
[box class=”glay_box” title=”今回読んだ(視た)のは・・・”]□原作小説『キノの旅 Ⅱ巻』
□『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』より「第10話 優しい国」
「優しい国」は第10話になります。
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