誰もが一度や二度は、相手の考えていることをもっと理解出来たらいいのにと考えたことがあることと思います。
“人”に”間”と書いて”人間”。私たちは良くも悪くも、誰かとの間でしか生きられない生き物です。なのに、生まれてこの方ずっと誰かと触れ合ってきた私たちも、自分の想いを全部相手に伝えることはできませんし、同様に相手の考えていることをつぶさに測ることもできません。
相手の”心”を推し量る技術。「読心術」と聞いてみなさんはどんなものを思い浮かべますか? 表情の微妙な変化を読み取る技術ですか? 身体の動きから感情を推測する技術ですか? それとも言葉巧みに相手の考えを引き出す技術でしょうか?
今回の記事では科学的に最も有効とされる「読心術」をご紹介しようと思います。
本日の参考文献:ニコラス・エプリー , 波多野理彩子 訳『人の心は読めるか? 本音と誤解の心理学』ハヤカワ・ノンフィクション文庫
”読心術”の代表的な2つの方法
まず、代表的な読心術の方法は以下の2つとなっております。
- 身体言語を読む方法
- 視点取得による相手の心の想像
1つ目の方法が、みなさまが”読心術”と聞いてまず思い浮かべる方法でしょう。表情やしぐさを読み取ることで相手の考えや感情を読み取る技術であります。この技術は、知覚を磨くこと、つまり観察眼を高めることで得ることができます。
2つ目は、俗に言う”相手の気持ちになって考えましょう”という方法です。相手になりきることで、その思考を主観的に得るわけですね。この技術は想像力を磨くことで高められます。
結論から申し上げます。本日の参考文献の著者、ニコラス・エプリー氏によれば、この2つの方法は科学的には精度を保証できないそうです。
エプリー氏が科学的に最も効果的と考える方法は、上記2つのどちらでもない第3の方法です。
その方法を述べる前に、まずは代表的な2つの方法が効果的でない根拠を解説していこうと思います。
”身体言語を読む方法”が効果的でない理由
身体言語を読む方法のひとつの例として、本書では以下のようなダーウィンの理論が挙げられております。
彼(ダーウィン)は、言語を伴わない表情は人間の進化のなかで脈々と受け継がれてきたものであり、ほかの動物にも備わっている反射神経によって引き起こされると主張した。怒りや喜びといった真の感情は、とっさに表情に出るもので有り、それらの感情が隠されるのは、表に出たあとのことである。ダーウィンによれば、相手がとっさに出す感情と、あとから言っていることを比べれば、だれもが読心術の達人になれるという。(258ページより)
つまり、人は表情で嘘をつけないから、それを隠すために言葉を利用する。それらを比べることで心を読もうというわけですね。
一見するとこの理論は有効のように思えるのですが、エプリー氏によると科学的には信頼性が低いそうです。その理由は以下の2つとなっております。
- まず、本人の意図しないところで感情などが漏れるという考え方には疑問符がつくそうです。被験者に嘘をつかせたり強い感情を隠してもらう実験では、被験者は自分の本心がばれる可能性を実際より高く見積もったんだそう。つまり人は自分の感情が相手に読まれると思いがちだが、実際はそんなでもないよということです。
- 次に、単純に表情の微妙な変化を観察することが困難であることです。研究者が実験で表情を読み取ろうとしても、見つけられないケースが多いんだそうです。さらに困りものなのが、嘘をついていても本音であっても、同様の表情が表れることがあるそうで、観察者の判断によっては誤解が生まれてしまうようなのです。
以上のような理由で、身体言語(今回の例では表情)を読み取る方法は難しく、精度を保証できないようですね。
ただ、個人的には表情や仕草を読む技術には興味があるので、いずれこのブログでもご紹介できたらと考えております。
”視点取得による相手の心の想像”が効果的でない理由
これについてはひとつの実験が引き合いに出されております。
104組のカップルにそれぞれ20個の質問をして、パートナーがどう答えるか予測するといった実験です。
予測は2つの方法で行ってもらい、それらを比較しております。2つの方法とは、
- 単純に予測
- 視点取得での予測(パートナーの1日の生活を書き出してもらい、視点を移してからの予測)
となっております。
結果は意外なことに、視点取得での予測の方が精度が落ちたんだそうです。
これは、視点取得をすると、相手が自分をどう見ているかという点にばかり意識が向くため、それが害になっているのでは? と考えられるそうです。
最も効果的な”読心術”は?
冒頭で述べた人の心を読む3つ目の方法。これが最も効果的とされています。
それはズバリ視点獲得による読心術です。
視点”取得”ではなく視点”獲得”。どういうことかというと、人の心を読みたかったら相手に言葉にしてもらおうということになります。
そんなの当たり前だろうとがっかりされた方も多いと思います。しかしやはり、本人に直接訊くという方法がもっとも確実なようです。
前述した視点取得のカップルの実験では、実は視点獲得による予測も行ったんだそうです。方法は質問についてインタビューしてから、質問を行うといったものです。
結果、視点獲得による予測は、単純予測と視点取得による予測より誤答がはるかに少なかったんだそう。
インタビューでは具体的な数字を口にしないことや、雑談を含めること、メモしないことなど、一応の縛りがあったようですが、当然そうなるよなぁといった結果ですね。
答えを予想するのではなくパートナーの考えを直接聞くのは、ある意味、カンニング行為に近い。だが、人生は良心的な振る舞いが求められる学校のテストとは違う。もし相手を本当に知りたいなら、そうぞうするのではなく、直接訊けばいい。(271,272ページより)
いまいち釈然としないものは残りますが、それでも視点獲得が最も効果的なことに異論はございません。
では、視点獲得を効果的に行う、つまり相手から上手く話を引き出すにはどうしたら良いのでしょうか? 最後はそれについて説明していこうと思います。
視点獲得の障害となる3つのこと
視点獲得を行う際の障害は以下の3つになります。
- 相手が本心を話してくれない
- そもそも人は自分をよく理解していない
- 話してくれた内容を誤解して受け取る可能性がある
これらの対処法を述べていきます。
まず1つめの相手が本心を話してくれない場合。
人が本心を隠す、特に嘘で本心を隠そうとする理由でもっとも多いのは、本心を知った相手に嫌われるとか怒られるといった可能性がある場合です。
ですので、まずは自分が怒っていないことを上手く相手に伝えることです。(それが難しいのですけどね……)
さらに、嘘をついた直後ではなく、時間を置いて尋ねることも効果的なようです。人は時間をおいた方が本音を話しやすくなる傾向にあることが分かっているのだそう。
次に、話してもらおうにもそもそも相手が自分を正確に理解していない場合の対処法です。
人は自分が思っている以上に自分を分かっていません。ですので、それを言葉にしてもらうことも難しいわけです。
それでも、なるべく正確に自分を表現してもらうための質問方法が2つあります。
1つは「なぜ」を尋ねるのではなく、「なに」を尋ねることです。人は「なぜ」に答えることが苦手なのです。
2つ目は将来どうするかではなく、今どうするかを尋ねること。人は先のことよりも、今のことを考えた方が自分を正確に把握できるんだそうです。
最後の障害、相手の話を誤解する可能性があることについては、相手の話を自分が正しく理解しているか確認することが対策となります。そのひとつの方法として本書ではトーキング・スティックが挙げられております。
これはネイティブ・アメリカンが、部族間の諍いが起きた際に使う手法です。議論の場を設け、トーキング・スティックという棒を持つ人のみが話せるといったもの。スティックを受け取った人は手渡した人の主張を繰り返します。それを、手渡した人が納得したら、今度は自分の主張を述べられるのです。こうすることで発言者は存分に話せるし、確実に理解して貰うことができるというわけですね。
まあ、実際に棒を持って話し合うというのは現実的ではありませんから、エプリー氏はオウム返しを進めております。相手の発言を繰り返し、間違って理解していないかを確認しながら話すわけですね。
おわりに
相手の心を確実に読める方法など存在しない。お互いを理解する秘訣は、ボディーランゲージを読み取る力を磨いたり、視点取得に熟達することではなく、理性をめいっぱい働かせて、相手が自分の心を包み隠さず話せる環境作りをすることだ。(285ページより)
今回のお話は、超人的な読心術の方法を期待されていた方には残念な結論だったかもしれません。正直なところ、私も最初はそう思いました。
しかし同時に、やっぱり言葉ってすごいよなぁと改めて感じることができました。作家志望の身としては言葉(文章や物語を含めて)を極めていきたいという想いが一層強くなりました。
それに、完全に理解することができないからこそ、相手を思いやろうとするし、誰かとつながっていたいという人間らしい欲求が生まれるのだと感じました。
やはり人間、コミュニケ—ションは大事ですよね。コミュニケーション能力に難のある私にとっては痛くも、発破をかける良い機会となりました。
今回の参考文献では、いかに人の心を読むことが難しいかといったことを中心に、人の心について数多のお話が語られています。研究や実験の例がちゃんと載せられているところもポイントです。人の心に興味のある方は是非とも一読頂けたらと思います。
本日はお付き合い頂いてありがとうございました。それではまた。