物語におけるサスペンスとは一体どういったものなのでしょう?
また、作家はサスペンスをどう描いたらいいのでしょうか?
サスペンス。恥ずかしながら私はこれを説明しろと言われてもできませんでした。
言葉としては聞き慣れていますが、いざどういったものか考えると漠然としたイメージしか浮かびません。
というわけで今回のテーマはサスペンスです。
サスペンスの意味と、作家としてこれをどう扱うかを学んでいこうと思います。
参考文献:デイヴィット・ロッジ[著]、柴田元幸・齋藤兆史[訳]『小説の技巧』白水社
物語におけるサスペンス
サスペンスという言葉自体は「つり下げる」という意味のラテン語です。
これを物語に組み込むとどうなるか?
『小説の技巧』(以降”本書”とします)から引用します。
小説は物語であり、物語は、その媒体がーー言葉、映画、コマ漫画、その他ーーいかなるものであれ、受け手の頭の中に疑問を呼び起こし、答えの提示を遅らせることで関心を引きつけておこうとする。その疑問というのは、(誰がやったんだ?とういうような)原因に関するものと(次にどうなる?というような)経緯に関するものとの二種類に大別されるが、それぞれ古典的な探偵小説や冒険小説にきわめて明確な形で現れる。サスペンスは、特に冒険小説、およびスリラーの名で呼ばれる、探偵小説と冒険小説を混ぜ合わせたような読み物と結びつけられることの多い文学的効果である。そのような物語では主人公が繰り返し窮地に追い詰められるという仕立てになっているため、読者が感情移入しやすく、不安と恐怖を抱きながら事の成り行きを見守ることになる。
(28ページより)
引用文の色つけは私が重要と思った部分です。
物語におけるサスペンス(つり下げる)とはつまり、登場人物を何度も窮地に立たせることによって、不安定な宙づり状態におくことです。
そうすることによって読者は物語に興味を引かれ、もっと先を読みたいという気持ちになります。
読者に感情移入させることについては以前にもお話しましたが、サスペンスはそう言った意味で効果的であると言えます。
引用文にある読者に疑問を提供し、関心を引きつけることも、物語る上で極めて重要です。
- 原因に関する疑問(誰がやった? どうしてやった?など)
- 経緯に関する疑問(これからどうなる? どういう結末が待っている?など)
プロット作成の際は、この二つの疑問を常に意識すると良さげです。
原因と経緯とは、つまり過去に対する興味と未来に関する興味ですよね。
物語は一般的に現在を進行していくことになりますが、過去があって今があることと、今があって未来があることを忘れずに物語ることで、よりリアリティのある、なにより読者に楽しんでもらえる小説になるのではないでしょうか?
絶品のサスペンスを『青い眼』に学ぶ
本書ではサスペンスの好例としてトマス・ハーディの『青い眼』(1873)が挙げられています。
原文を引用することで詳しく説明・考察しているのですが、本記事ではそれを簡潔にまとめておこうと思います。
まずは『青い眼』のワンシーンです。
- 登場するのは、エルフリードという女性と、ナイトという男性。2人は恋仲にあります。
- 海峡を見下ろす高い山に望遠鏡を持って登る2人。山頂にて断崖絶壁の前に腰を下ろします。
- 飛ばされた帽子を拾いに行ったナイトが滑りやすい急斜面から戻れなくなります。急斜面の先は断崖絶壁で、落ちれば命はありません。
- エルフリードはナイトを助けようとしますが、ナイトをより悪い体勢にしてしまい、自身の安全のため、いったん引き返します。
- ナイトは手近に生えていた頼りない植物を掴み、文字通りつり下げられた状態になるのです。
- エルフリードは助けを求めにいったのか、ナイトの視界からは見えなくなりました。
まさにサスペンスを体現していますね。
このシーンは先ほど述べた経緯に関する疑問を読者に抱かせます。
ナイトは助かるのか? どうやって? エルフリードはどこにいったのか?
そういった疑問が読者の興味を引き込みます。
さらにこのシーンのポイントはナイトの視点で書かれているということです。
本書から引用します。
サスペンスを持続させるためには、これらの疑問に対する答えの提示を遅らせるしかない。その一法として、映画の常套手段(強く視覚に訴えてくるハーディの小説はそれを先取りしているところも多い)を用いて、ナイトの苦闘とヒロインの必死の救助作戦を切り離して別々に映し出すやり方が考えられる。しかしハーディは、この緊急事態に対するエルフリードの対応が驚くべきものだという印象をナイトに(そして読者に)与えようとして、この場面の語りがもっぱらナイトの視点からなされるように工夫している。
(30ページより)
サスペンスが発生するのも大切ですが、いかにその効果を有効に使うかといった工夫も作家の腕の見せ所となるわけですね。
『青い眼』のこのシーンですが、ナイトの視点という意外にも様々な工夫が成されています。
そのうちのひとつに私はひどく感心したのでご紹介します。
急斜面につり下げられた状態のナイトは、岩肌に三葉虫の化石を見つけます。
石となり、光を失った三葉虫の目。それがじっとナイトを見つめていました。
何百万年もの時を隔ててこの世に生を受けたナイトとこの埋もれたる小さきものとは、まさに死に場所で出会ったかのようであった。その化石は、彼の視界の中で唯一生命を宿していたものであり、また今の彼と同様、救うべき肉体を有していたものであった。
(トマス・ハーディ1873『青い眼』より)
三葉虫という過去。ナイトという現在。その対比によってナイトの未来を連想させています。
”生きる”という壮大なテーマの描写を巧みに描かれていますよね。
さらに本書によると、このシーンはエルフリードの青い眼とも対比されているようです。
ナイトもまた、エルフリードの生きた魅惑的な青い眼の代わりに視界に現れた化石の死んだ眼と対峙し、己れの死すべき運命についての辛辣にして索漠たる認識を得る。
(30ページより)
引用文の色は私が付けたものです。
うーん、見事ですね。
”死の運命”を直接的に文にするという手(地の文や、人物の声による表現)ももちろんあるわけですが、このような読者に連想させる手法は私の理想とするところです。
いつかこんな風に書いてみたいものです。
おわりに
今回はサスペンスが如何なるものかということと、その好例として『青い眼』をご紹介しました。
サスペンスは読者の興味を引くにはとても有効な技法ですので、効果的に使えるようにしていきたいですね。
それでは本日もここまで読んで頂きありがとうございました。