冲方丁2009『ストーム・ブリング・ワールド①』MF文庫ダ・ヴィンチ
私の尊敬する作家さん、冲方先生の作品をひとつ紹介させて頂こうと思います。
あらすじ
本作はゲーム『カルドセプト』の世界を基にした小説です。
冒頭からして冲方先生のセンスが光る作品となっております。主人公となる少年と少女、それぞれの幼少期を交互に語っていく形で物語は始まります。
文体は三人称。しかし要所要所で僅かに視点を変えていっているようです。
美しい世界と、それを絵に起こすことを愛する少年の場面では、完全な三人称(神の視点)で世界を描く。
家を出て行こうとする大好きな父に泣きすがる少女の場面では、少女の一人称混じりの三人称で感情を豊かに表現。
小説ごと、あるいは場面ごとに、物語を最大限に表現できる文体を用いられることが、冲方先生の凄いところのひとつだと思います。本作も、シリアスな場面を感情込めて表現したかと思うと、ライトノベルのような軽快な会話やラブコメ要素が顔を見せます。ほんとうにこのバランスが素晴らしい。
序章で語られる少年と少女の過去は、次のような言葉で締めくくられます。
父が、天を見上げて呻いた。その傍らに、そっと母が寄り添っている。二人の様子に、少女は満足した。家族を結びつける絆——それがセプターになるということだった。
そのために、少女はその日、涙を封じる事を誓った。
(38ページより)
その日以来、少年の顔から微笑みが消えた。
二度と絵筆を執ることはなかった。何かを美しいと思う気持ちが湧かなくなっていた。
ある街で、一人の少女と出会うまでは——
かくして——
少年は微笑みを失った。
少女は涙を胸に封じた。
それから、四年が経った。
(45ページより)
もはやこの時点で良質なボーイミーツガールの匂いしかしません。
それぞれの過去を背負い、出会うことで互いに影響し合っていく二人の物語を楽しんで頂けることと思います。
さて、ここからは作家志望の目線から、本作で勉強になった部分をいくつか述べさせて頂こうと思います。お付き合い頂けたら嬉しいです。
会話文と地の文のつなぎ
「」などで括る会話文や、()で括る心の声。そして情景や行動、心情を説明する地の文。小説はすべてが文字で構成されます。(当たり前のことではありますが)
これが、映像と声や音楽などで構成される映画や、絵も文字も利用する漫画との大きな違いです。
小説の読者は文字を読んだとき、頭のなかにそれぞれの映像を見て、声を聞きます。
読者にいかに自然に想像してもらうかが小説の肝となると私は思います。
その点において冲方先生の作品は優れています。当然、私もその技巧のすべてを把握できてなどいませんが、ひとつ例を挙げさせていただきます。
私は冲方先生の会話文と地の文のつなぎ方がとても秀逸であると常々思っております。本作から一場面をご覧頂きます。
尋常ではない心根だった。単に弱みを見せないというのではない。再び敵が現れたら、疲労の色など見せずに、また戦い始めるだろう。感情がどこかへ消え入ったようなその様に、
「なまなかの騎士も及ばぬ、見事な戦い振りだ……」
騎士がしきりに感心したように言う。
(58ページより)
尋常ではない心根を持つ主人公を、騎士が評価するといった場面です。
”その様に、「〜」言う” と会話と地の文がつながっております。
これを別々にしたのが以下のものです。
”尋常ではない心根だった。単に弱みを見せないというのではない。再び敵が現れたら、疲労の色など見せずに、また戦い始めるだろう。感情がどこかへ消え入ったような様子だった。
「なまなかの騎士も及ばぬ、見事な戦い振りだ……」
騎士がしきりに感心したように言う。”
こう書くのとどう違うのでしょうか?
この場面の意図すること(伝えたいこと)を考えてみましょう。おそらく主人公の兵器じみた人間性の表現が目的でしょう。
オリジナル文では”感情が〜言う。”まで「」を含めて一文ですのでこれが、それ以前の描写にかかることになります。
対して会話と地のつながりを断った文では、”感情が〜様子だった。”が、それ以前の描写にかかります。そこから騎士の賞賛が加えられる形になるわけですね。
つまりオリジナルは、第三者の生の声を”「」”で取り込んだ地の文を主人公の評価に当てているのですね。
声を独立させるかどうか……。好みは分かれるところだと思いますが、みなさまはどうお考えでしょうか?
今まで、読み心地が良いなぁと漠然と読んでおりましたが、こうして考えてみると面白いですね。今後も会話文と地の文のつなぎについては考察していこうと思った次第です。
想像力を誘発する表現
先ほど、小説の肝は、文字を媒体にして読者に自然に想像して貰うことだという考えを述べましたが、この点においても冲方先生の文は優れています。もしかしたら、これこそ私が冲方作品を好きな最大の理由かも知れません。
2つほど例を挙げます。
混乱とともに、このとき初めて、リェロンの中で、アーティに対する感情のようなものが芽生えていた。具体的に、どんな感情というわけでもなかったがーーしいていえば、灰色だった世界に、いきなり色彩を持ったものが飛び出してきた感じだった。
(102ページより)
主人公リェロンの感情を”感情のようなもの” 、”具体的〜でもなかった”と曖昧にすることで、読者に想像の余地を残しています。そこに加えて”灰色だった〜” という描写で想像の指標を提示しています。灰色や色彩といった表現はありきたりのように思えるかもしれませんが、”飛び出してきた” という「動」の表現を加えることで更に想像力が誘発されていると思います。
もうひとついきます。ページは少し離れていますが、1つ目の例の続きと思われる部分です。
「君の生活は、必ず、守るよ」
そう口にしながら、目の前にいるアーティが、ますますくっきりと、灰色の世界から浮かび上がる色彩をもった存在となるのを感じていた。
(114ページより)
灰色と色彩。1つ目とおなじ単語を用いています。注目して頂きたいのが、”飛び出してきた” という表現が”浮かび上がる” という表現に変わっていきます。
これをみなさまはどう解釈するでしょうか? 私は、動きの激しさが穏やかになっていることから見て、初めての鮮烈な印象が主人公の中で次第に馴染んでいき、それが薄れるのではなくて定着してきた、という風に受け取りました。
(……”定着”という単語のチョイスはなんだかしっくりきませんね。小説を書いていても思うのですが、もっと語彙力を増やして、適切に扱えるようになりたいものです。)
私は勉強の意味で、作者さまの意図を考えながら小説を読んでいますが、作家志望でない方も、こういう部分に着目して読書して頂けると、世界が広がって面白いと思います。小説って奥が深いですよね。
おわりに
私はこういう記事を書く前は、好きな作家さんのことは「好きだから好き」といった感じだったのですが、その由縁を考えてみると、自分は何もわかっていないんだなぁと思い知らされます。
今後は新しく読んだ本に加えて、今まで読んだものも、みなさまに紹介しがてら勉強していこうと思いました。
ではでは、末尾には本作で印象に残った部分を引用させて頂こうと思います。迷ったのですが、この場面にしました。ボーイミーツガール。素晴らしいです。
本作の基となったゲーム『カルドセプト』の新作は以下のものになります。
守ろう——その思いが胸に満ちた。神殿を、この街を。この場所だけは、必ず守り通してみせる。そう強く思いながら、呆気にとられているアーティを、じっと見つめた。ふいに懐かしい気持ちになった。自分の中で失われていた何かが、かすかに脈打つようだった。
「美しい……」
そんな言葉が口をついて出た。ゼピュロスがアーティの事を可愛いと言っていたのを思い出していた。少女たちが、びっくり顔になる。アーティはますますぎょっとなって、
「な……何をいきなり言い出すのっ!」
もの凄い剣幕で怒鳴った。少女たちが嫉妬まじりの囃し声を上げた。どうやら失言だったらしいと受け取ったリェロンは、考えなしに言った。
「……かも。いや、全然違った。ごめん」
ぴたりとみなが静まった。アーティの頬が、ひくっと引きつった。
「あんたって……ほんっと、変わってるわね」
アーティが、怖い笑みを浮かべた。リェロンは首をすくめ、素直に訊いた。
「怒った?」
アーティの中で、何かがきれる音を、その場にいる全員が聞いた気がした。
「この変人猫信者っ!!」
激しく振りかぶられた掌に、リェロンは、ただぽかんとなって立ち尽くした。
その頬を引っぱたく音が、夜空に高々と響いた。
(125 , 126ページより)
シリアスな場面が際立つ作品にあって、リズミカルな文と、軽快なやりとりに思わず頬が緩む場面。