【意味を考察】BUMP OF CHICKEN『ray』の歌詞を吟味します。

葛史エン
BUMP OF CHICKENの『ray』。
紅白でも歌われたバンプの代表曲の一角です。僕は紅白で歌われた『ray』をフェス会場で生で聴いたのですが、それを差し引いても思い入れの強い曲です。
今回はそんな『ray』の歌詞を僕なりに読み取っていこうと思います。

バンプの【作詞・作曲・ボーカル】は藤原基央さん。
藤原さんは以前、「(歌詞には)自分のことしか書けない」といった旨のことをどこかで仰っていたはずです。

バンプの曲はどれも藤原さん自身が体験し、感じたことが歌われているわけですが、同時に聴いた人それぞれの曲へと形を変える魅力も持っています。
聴けば聴くほど好きになる曲。バンプの曲たちにそんな評価を与える人は少なくないはずです。

聴いた人それぞれの曲。
僕にとって『ray』は、特にこれが顕著な曲なんです。


『ray』は「別れの痛みが薄れていくことを赦し、生きる強さをくれる曲」だと思う。

僕にとって『ray』が特別な理由。
それは、僕の中でこの曲が「死別した幼馴染みを想う曲」になっているからです。

ここでは詳しく語りませんが、僕は高校生のとき、幼馴染みで親友だった人を亡くしています。
(⇒詳しくはプロフィールで書いています)

ほんとうに大切だった人とお別れしたとき、一番恐いのは何でしょうか?

それは、その人を忘れてしまうことだと思います。

大切で仕方なかったはずの人。その人への想いが時間と共に薄れていくのは本当に恐いものです。
それこそ自分が「非人道的」な存在になっていくような罪悪感に苛まれます。

「別れ」はその人との最後の記憶です。
お別れしたときの痛み強ければ強いほど、その人と過ごした時間は大切だったということ。

そんな「痛み」が薄れていくことは、大切な人を忘れていくことにも等しいのです。

大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

「痛み」が薄れてきたとしても、それが真に消えることはない。
だから大丈夫だよ。

『ray』を聴くと、僕は心底救われた気持ちになるし、生きることが素晴らしく思えるんです。

別れた後も「人生」という道は続いている

『ray』は大切な人と別れた後で、しばらく歩いてきた人(自分)の視点で歌われています。
「人生」という道の途上にいるイメージですね。

お別れした人の存在が大きければ大きいほど、その人がいない道のりは景色を変えるもの。
その寂しさは目を背けたいくらい辛いものであり、同時に大切なものでもあります。

君といた時は見えた 今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

「透明な彗星」。宇宙好きの藤原さんらしい、美しい言葉選びです。
この言葉は二度登場しますが、その意味するところはかなり曖昧なのだと思います。

僕の聴き方では、「透明な彗星=お別れする前の景色」みたいなイメージです。
あの人と一緒だったからこそ見えていた ”何か” を表現していると考えれば、ここには聴いた人それぞれが思い出を当てはめていくことになります。

かつて見えていた「透明な彗星」を探しながら、それでも歩いて行かねばなりません。

「歩くのは大変」で忘れてしまいそうになるけど・・・

お別れしたことを忘れたくない。
ずっとずっと大切に抱えて歩いて行きたい。

でもそれはとても難しいことです。

しょっちゅう唄を歌ったよ その時だけのメロディーを
寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

「唄った」のは人生で直面してきた「君のいない日々」ではないでしょうか。
その時々、いつだって必死だったはずです。

時には大切だった人を忘れてしまいそうになるほど「今に一生懸命」だったけれど、その度にあの人のことを思い出しながら生きてきた。

思い出すという行為は、郷愁であり、慰めでり、備忘録でもあったはず。

別れた後で「ちゃんと寂しくなれる」くらい大切だった人がいたおかげで、今は寂しくないと自分に言い聞かせることができます。

ほんとうはずっと一緒にいたかった

理想で作った道を 現実が塗り替えていくよ
思い出はその軌跡の上で 輝きになって残ってる

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

「理想で作った道」とは、ずっと一緒にいられるはずだった人生
そのかつて信じて疑わなかった理想を、「別れという現実」が塗り潰していきます。

「思い出が輝きになって残っている」。ここで少しだけ救い、というか転機が訪れている印象があります。

大切な人がいなくなってしまった道で、生きることに呑み込まれて忘れてしまわないよう必死だった人(自分)が、別れがあったからこそ輝くものがあると気付きました。

お別れしたことにも、ちゃんと意味がある

お別れしたからこそ出会えたものがあって、気付けたことがあるはずです。
それら全部が全部で、今の道を歩いているはず。

時々熱が出るよ 時間がある時眠るよ
夢だと解るその中で 君と会ってからまた行こう

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

熱が出るのも、眠るのも。
ここは生きていることを純粋に、生々しく表現していると思います。

同時に、別れを受け入れることのできた心情での「生きる」描写と思えます。

その証拠に、「夢だと解るその中で」という詞には、現実に会うことはもうなくても、というある種の決別が見て取れます。

もう会うことが無いとしても、何度だって思い出しながら生きていこうという兆しです。

生きるのは最高だ

上記の『君と会ってからまた行こう』以降の歌詞は怒濤のカタルシスです。

カタルシスとは「精神の浄化」を意味する言葉。
”君” を忘れないよう怯えながら、それでもひたむきに歩んできた道のり。

その道はこの先もずっと続いています。

その「道の先」へ進むための力強い想いが歌われているように思えます。
ここからの藤原さんの歌声にはいつも心振るわされます。

 

暗闇に包まれても、思い出せば希望はいつだって輝く。

別れの痛みが薄れるのは、決して大切な人を忘れることと同義ではない。
お別れする前の日々があって、今の自分が出来上がっている。

思い出はちゃんと抱えて、一生懸命に生きていこう。

 

生きるのは最高だ

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

バンプ史上、もっともダイレクトで鮮烈な表現と思います。

バンプの曲はどれも、「優しいけれど、どこか後ろ向き」なのに「ちゃんと生きようとしている」という印象があります。
弱い心を認めてくれつつも、一歩先で手を差しのべ、道を示してくれるのがBUMP OF CHICKENというバンドだと思います。

『生きるのは最高だ』という歌詞は、そんな曲を演奏し歌い続けてきた彼らだからこそ強い意味を持つはずです。
そういう意味でも『ray』はひとつの到達点でもあり、集大成でもあると感じました。

大丈夫だ この光の始まりには 君がいる

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

結びとなる詞からは、別れを受け入れて、そこから延びる今を生きていこうというメッセージを受け取ることができます。

「ray」とは光芒(光線)の意。

光芒は、その発信源からどれだけ先にだって届くはずです。

補足:『ray』の歌詞解釈に時間を要した部分

2度登場する「透明な彗星」

『ray』には「透明な彗星」という言葉が2度登場します。

「透明な彗星」が示すのは、先述したように ”君” と一緒だった日々に見えていた景色と思います。

1度目の登場では「透明な彗星」を「探して」います。

そして、2度目の登場では「無くならない」と歌います。

あの透明な彗星は 透明だから無くならない

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

曲の序盤で「探していた」ものが、終盤では「無くならない」と気付いています。

無くならないということは、探している間もずっと側にあったということ。
「思い出す」という行為ひとつで、「透明な彗星」はいつだって見ることができます。

心の持ち方ひとつで景色は一変すると教えてくれています。

前に長く伸びた僕の影

悲しい光が僕の影を 前に長く伸ばしている

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

「悲しい光」は ”君” との思い出、あるいは “君” 自身のことでしょう。

そんな光が過去から ”僕” を照らし、”僕” の影が未来へと伸びていく。

「悲しい光」。そして「影」。
言葉の選び方からして、ネガティブな表現です。

藤原さんがなぜこのようなマイナスとも取れる表現をしたのか、ずっと気になっていました。

僕なりの結論としては、「光を悲しいと感じる自分」も「その光が生み出す影」も、ちゃんと人生の一部であり、目を背けるべきことではないと伝えたかったのではと思いました。

悲しみだって、悲しむことができる出来事や相手がいたことを証明してくれる大切な感情なんですよね。

こんなにも

伝えたかった事が きっとあったんだろうな
恐らくありきたりなんだろうけど こんなにも

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

正直この部分は、僕自身はすんなり解釈できていたのですが、ネット上の解釈や感想を読んでいると、意外に意見が分かれるようなので取り上げさせていただきます。

ネット上で言われていたのが、「こんなにも」の後にはどんな言葉が続くのか、ということでした。

そういう捉え方もあるのかと、僕にとっては新たな観点です。

というのも、僕なりの解釈は以下の通りです。

「こんなにも」は語順が異なる位置にあるだけと思います。

”伝えたかった事が きっと(こんなにもたくさん)あったんだろうな”

ということだと思います。

「恐らくありきたりなこと」を伝えたいと思ったのは、お別れした後のことです。
”君” のいない生活の中で、ふとした瞬間 “君” に話したいことが次々に生まれてくる。

それは時間を経るにつれて積み上がっていくが、伝える術はない。

そんな時間を重ねていくうちに「あぁ、こんなにもたくさん伝えたいことがあるんだ」という心情に至ったのだと思います。

3度の「あの痛みは忘れたって消えない」

大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない

BUMP OF CHICKEN『ray』(作詞・作曲:Motoo Fujiwara)

こんなにも簡潔な言葉と言い回しで、どうしてここまで心に刺さる詞が書けるのかといつも思わされます。
もちろん曲全体を通して(演奏も含めて)ワンフレーズを際立たせているのもありますが、藤原さんの感受性にはいつもわくわくさせられます。

上記のフレーズは『ray』で3度登場します。

  1. 楽しい方がいいから、ごまかして笑う
  2. 泣かなくなり、靴を新しくした
  3. あまり泣かなくなって、ごまかして笑う

肝は「ごまかして笑う」だと感じました。
最初と最後の「ごまかして笑う」では、意味するところがまったく異なります。

まず最初は、「楽しい方がいいから」とあります。
楽しい方がいいというのは一般論。今の自分は楽しいと思えないけど笑っていよう。
楽しいと思えないからこそ、お別れした傷はまだ残っているという証になっています。

次いで、泣かなくなって靴を新しくしました。
ここは、ある一面では悲しみを乗り越えられたから、気持ちも新たに歩いて行こうという意。
お別れした痛みを忘れつつあるが、何となく大丈夫な気がしてきています。

最後に、何となくだった「大丈夫」という思いが、確信に変わります。
泣かなくなったのは、悲しみを乗り越えることができたから。その上で、痛みは無くならないと確信できている

悲しみを超えたことを悲しく思うけど、それを誇るような、でもほんのちょっとの自嘲を含んだ「ごまかし笑い」が3度目の『大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない』というフレーズの前に来ているのだと思います。

そのことに救われた人は少なくないはずです。

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