小説における”作者の介入”の利点と欠点を考える

小説において語り手の存在は不可欠です。

現代で私たちが目にする小説の語り手は大きく分けると2通りあります。
一人称、そして三人称と呼ばれる分類です。

一人称は小説中の登場人物が語り手となり、彼らの視点で物語が展開されます。
登場人物のなかでも、主人公を語り手とするのが一般的であり、必要であれば他の人物の視点も活用するといった具合になります。
一人称は主観であるため、語り手の感情をダイレクトに表現しやすく、読者の共感を呼びやすい手法と言えるでしょう。

対して三人称は第三者が語り手となる手法です。
もっとも一般的なのが、いわゆる神の視点です。物語上の世界や出来事、人物の心情に至るまですべてを知っている神が物語ることになります。
三人称は客観です。(神が登場人物の視点を借りることで、主観寄りに表現することも可能ではありますが)
客観というのは物語を俯瞰で見ているようなものですので、そこには俯瞰で見ている人(=読者)が存在します。そのため物語や登場人物に対する読者の感想や評価が生じやすいのだと考えられます。

さて、今回ご紹介するのは三人称における作者の視点です。物語に作者が介入するわけです。
私は物語に作者が顔を覗かせるのはよろしくないと考えていますし、同じ考えの方も少なくないと思います。
しかし、小説に作者が介入することに利点があるのならば、それを活用することにやぶさかではありません。

というわけで『小説の技巧』を基に学んでいこうと思います。

”作者の介入”の極端な例

まずは本書で挙げられている例をひとつご紹介します。

たとえば、ジョゼフ・ヘラ—の『輝けゴールド』(一九八〇)という物語の真っただ中に驚くべき侵入を敢行する作者の声を聞いてみよう。

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ここでまたいつの間にかゴールドはある人物——スポッティ・ウェインロック——と昼食を共にすることになっているのだが、どうもこの本の中で彼がしていることといえばほとんど食べるか喋るかのどちらかだという気がしてきた。もっとも他にやってもらうこともないのだ。実は、アンドレアとたっぷり同衾してもらい、彼の妻子は適当に後ろに引っ込んでいてもらおうと思っていたのだが……ともかく、彼はやがて四人の子供を持つ女性教師と出会い、狂ったように彼女に恋をし、そして間もなく筆者は、ユダヤ人初の国務長官の椅子を彼の鼻先にちらつかせることになるが、彼が無事その席に就くと思ったら大間違いである。

(25ページより)

文字の色は私が重要と思う箇所に付けました。

「こんなのあり?」というのが私の感想です。
作者が顔を覗かせるどころの話ではありません。完全に登場してしまっています。”本”とか”筆者”とか言っちゃってますし……

これは極端な例ではありますが、ここだけ見ると私には有用に思えません。(もちろん本全体で見たら印象が変わる可能性も十分ありますが)

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”作者の介入”の利点

本書で述べられている利点を一部挙げます。

読者が物語に求めるのは単に楽しむことばかりではなく、次のような要素もあります。

  • 世界をより広く知りたい
  • 世界をより深く理解したい

これらの欲求を満たすための、百科事典的知識と処世訓を作品に組み込むことに、作者の介入は適しているのだそうです。

うーん……。個人的には、世界の知識についても登場人物か第三者(神)が語れば済むと思えてしまいます。まあ、私の思慮が浅いだけなのかもしれませんが。
これから要研究ですね。

”作者の介入”の欠点

本書によると”作者の介入”の人気は19世紀から20世紀へかけて減衰していったとのこと。
ということはこの手法が求められた時代もあったのですね。

人気が無くなっていった理由は次のようになります。

作者の声が読者の注意を「語り」の行為に引きつけてしまうために、リアリズムの幻想が破られ、描かれている体験への感情移入が大きく妨げられるという問題がある。また、一種の権威を、神のような全知の視点を必要とするこの技法は、何人にもそのような特権的な地位を与えたがらない懐疑的、相対主義的な時代にそぐわない。

(23ページより)

物語に入り込めないというのは納得です。加えて時代性も絡んでくるのですね。

考えてみれば、文学性よりもエンターテイメント性に重きを置いたライトノベルの登場も時代を感じますよね。
私たちが生きている間に、更なる小説の変遷があるのだとしたら、作家はそれに対応していかねばなりません。(ここで「自分が時代を築いてやる」くらい言えたら本当は良いんですけどね)

おわりに

というわけで今回は小説における”作者の介入”について学びました。
私的には、今のところ実践で活用してみようとは思いませんでしたが、この手法が評価された時代もあったのですから、当時の時代背景を学ぶと共にそういう小説も読んでみたくなりました。

最近だと第24回電撃大賞を受賞した『タタの魔法使い』が、記者視点の三人称という特徴的な物語り方をしていましたね。
今後も新たな手法が生み出されていくことになるのでしょうか。

私も独自の手法にチャレンジしてみたいと思う一方で、まずは基礎を先人方から学ぶのが先決かなと思う次第です。

それではみなさま、本日もありがとうございました。

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