今回は友人についての名文をご紹介し、考えていこうと思います。
参考書:小野寺健2010『心にのこる言葉 ベストセレクション162』ちくま文庫
If a man does not make new acquaintance as he advances through life, he will soon find himself left alone.
From”life of Johnson” by James Boswell年をとるとともに、新しい友人をつくらなけらば、たちまち孤独になってしまう。
サミュエル・ジョンソンサミュエル・ジョンソン(1709-84)
イギリスの批評家。常識を離れない堅実な判断力とユーモアで国民的アイドルとなっている。その言行を彼に私淑したボズウェルが記録した伝記は、伝記文学の傑作。(30ページより)
私の思うこと
「年をとるとともに」「新たな友人」ということは、いわゆる「竹馬の友」の存在があっても孤独になってしまうということなのでしょうか?
私はまっさきにそう疑問に思いました。
「新たな友人」と「古くからの友人」。
どちらが良いということもないのでしょうけど、比較してみます。
キーワードはやはり「年(時間)」すなわち「人の成長」でしょう。
人は時間と共に良くも悪くも成長します。成長とは変化です。
(人間の本質は変わらないなんて言われたりもしますが、人の脳は変えられることも明らかになっている昨今、私は人は変われると信じております。)
友人関係が、それぞれ確立した双方の相性であると考えるのならば、なるほど新たな友人をつくることは理にかなっています。変わった自分に合った友人を探すのは当然の成り行きでしょう。
対して古くからの友人の場合は、昔は意気投合したけれど、互いに成長してみると何か合わないということになりかねないわけです。
こうして見るとやはり新たな友人を作った方が良いように思われますね。
加えて、私の考える友人の重要性を述べておきます。
人は誰かの役に立つことに幸福を感じる生き物です。つまり人は孤独では幸福感を得にくいのです。
ですから夫婦や恋人との愛情と並んで、友情を得ることは極めて重要といえます。
以上のことから、私はこの名文を次のように解釈します。
”幸せになるためには友人をつくろう。そして友人を得るコツは、あなたの人生の時々に見合った存在をみつけることなんだよ。”
もっともな考えと思えます。
しかし私は少し違うのではとも思いました。
新たな友人はもちろん大切です。でも、古くからの友人も同じくらい大切だと思うのです。
確かに人は変わります。
人が変わるのは、自ら考え行動した結果であると思いますが、この”考える”だとか”行動する”だとかいったことのきっかけは、外部からもたらされるものです。
それは出会いだったり、経験だったり、時間による変化だったりするのでしょうけど、中でも友人というきっかけはとても大きいのではないでしょうか?
なにが言いたいのかというと、友人という存在によっても人は成長できると思うのです。
互いに気心知れた古くからの友人と共に、時間をかけて互いに高め合うことは可能であり、その間ずっと意気投合している必要はないのではと思います。
もしかしたら古くからの友人とは、その長い人生の中で心が離れてしまうこともあるかもしれません。しかし、それすら成長の糧として、離れたりひっついたりを繰り返しながら、より深い友情を育むことは可能なはずです。
これこそほんものの友情であり、私たちに真の幸福をもたらしてくれるのではないでしょうか?
人は変わるから、友人も変えなければならない。そんなことはないと思います。
たとえお互いに変わったとしても、それを認め合った高次の友情は存在すると私は信じます。
著者による見解
では次いで、本書で述べられている、この名文に対する小野寺先生の見解を簡略化してみます。
- 年齢だけでなく、境遇の変化でも友人関係は変わる
- 境遇と友人は本来無関係であるのに、なかなかそうはいかない
- 友人のいない人生では寂しくてやりきれない
- 良い友人に恵まれるかは自分の器量による
- 「いい友達を得るには、自分がいい友達になれなければならない」ということわざがある
- 人生の「今」を語り合える友達が重要
- 夫婦関係も同じである
おわりに
私の考えと小野寺先生の見解を比べてみて印象的だったのが、私は友人とは寄り添って互いに成長しあうべきと考えているのに対し、小野寺先生はまずは自分が成長してこそ良い友人を得ることができると考えていることです。
私の考えは軟弱に見えますね(笑)
どちらが正しいとは言えませんが、少なくとも人生において友人が大切であることは間違いありません。
みなさんも友人について考え、何より大切にしていただけたらと思う次第です。