問題の意味を考える。”問いに問う”という思考の螺旋!

『はじめて考えるときのように』を引き続き読んでいます。

本日の参考文献:野矢茂樹[著]、植田真[絵]2004『はじめて考えるときのように』PHP文庫

前回の記事では、”エウレカ”(あぁ、そうか! みたいな意味)” に至るためには、常に問題となることを頭の片隅に置き、問題解決のためのアンテナを張り続けようというお話を、アルキメデスの王冠の逸話を引き合いにしてご説明しました。

今回はその続編となります。

問題を意識し続けなければならないのはわかった。しかしそもそも、問題ってなんだろう? どのようにして問題は生まれるのだろう? 何を問題にするかという問題。これが今回のテーマです。

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問いの逆説

考えるためには目標となる問い(問題)が必要となります。

ワナビたる私の場合、常に考えているのは”どうやったら面白い小説が書けるのか?” という問いです。しかし、改めて考えてみると、私は”面白い小説” がなんたるかを理解していません。果たして、理解していないことを考えることに意味はあるのでしょうか?

仮に”面白い小説”  がなんたるかをあれこれ考えたとしても、いつになっても答え合わせをすることはできません。なぜなら私はその定義を持ち合わせていませんから。

答えを知らないから問えない、問えないから答えに至れない。このような禅問答めいたものを著者は”問いの逆説” と表現しています。

試験などでも、教師は答えを知っているから、問題をうまく作れる。逆に、答えを知らず、答えの方向もわからない人には、うまく問題が立てられない。だけど問題が上手く立てられていないと、うまく答えることもできない。
じゃあ、答えがわかる前に、どうやって問題を立てればいいのか。
これが問いの逆説だ。

(57ページより)

答えに至るための螺旋を描く

”面白い小説”  に関して、答えはわからないけれど考えてみます。

面白いとは誰かの主観です。では誰の主観でしょう? 私かあるいは読者、果てはワナビとして考えるなら新人賞の審査員か。三者の思う”面白い”に差異はあるのでしょうか? 自分の考える”面白い小説”はテーマがあってそれを体現する世界やキャラが生き生きと動く物語。一方読者がライトノベルという分野に求めるのは小難しいテーマよりも娯楽としてのエンターテイメント性でしょうか? では審査員の方々が”面白い”と思うものは? いや、そもそも小説ってなんだろう?

いろいろな所に思考が飛んでしまっていますが、これは問いに問うことを考えています。問いを問うと、その思考は螺旋を描きます。螺旋は直線のようにまっすぐではないぶん、始点から終点に至るまではそれなりの時間を要します。しかし、螺旋は少しずつでも、答えに向かって確実に進んでいるのです。

考えるということ。問題を考えるということ。それは問題そのものを問うことだ。問いへの問いが、答えを求める手探りといっしょになって、らせんを描く。答えの方向が少し見えて、それに応じて問いのかたちが少し見えてくる。そうするとまた答えの方向も少し見やすくなってくる。そうして進んでいく。
問いの逆説は、ぼくらを身動きできなくさせる呪文じゃなくて、ぼくらはまさにその逆説に突き動かされて考えていく。

(65ページより)

わたしたちのすべきことは、問いを定め、その問いを問うというかたちを取ることで、答えの輪郭を少しずつはっきりとさせていくことです。

螺旋のベクトルを手探りで修正しながら進むというのは、もしかしたら遠回りに感じてしまうかもしれません。でももしそれを楽しむことができたのなら最強ですよね。

問題の発生源

ではそもそも問題はどのように生まれるのでしょうか?

本書では”惑星という問題”  を例に挙げています。”惑星” という概念がどのようにして生まれたかを説明しているので、簡単にまとめてみます。

  • 夜空の星は朝になると姿を消すが、次の日の夜にはまた同じように現れる。
  • 次の日の星は前の日の星と同一のものであると考えられている。
  • 天体観測し、それを追跡する。
  • すると夜空の星は円を描くように運動していることがわかる。
  • その中にひとつだけ運動しない星がある。円運動の中心にある北極星だ。
  • ところが円運動せず、異なる動きをする星もある。
  • そういう星は「惑星」と名付けられた。(英語の”planet”  はギリシャ語の「さまよう人」がもとになっているそうで、かつて天体観測をした人たちは、「さまようもの」として惑星をとらえたのです)
  • そこで、どうして「惑星」は円運動しないのだろうという問題が生まれた!

このエピソードから何がわかるかというと、「惑星」という問題が突如として生まれる事はなかっただろうということです。

惑星が”さまよっている” と捉えられるには、一般的な星は円運動しているという前提がなければなりません。つまり前提となる知識があったからこそ、異質となる「惑星」を見つけることができたのです。

問題は知識から生まれる

何もない場所から問題は生まれません。様々な知識を学び、それを発端にしてこそ問題は生じるのです。

ですから私たちにまず求められるのは、先人に学ぶということです。人間はその歴史の中で様々な知識を蓄えてきました。ですからそれをお借りし、そして自分でもそれに上積みすることを目指すべきなのではないでしょうか?

小説家志望の方(それ以外の方でも)には、もしかしたら創造とはゼロから有を生み出すものと考えている人も多いのかもしれません。現にそういう、いわゆる天才もいらっしゃるのでしょう。

しかし天才でない私のようなワナビには、まずは”型” となる既存の知識を得て、それをもとにして”型破り” な新たなものを生み出す必要があります。

無知や無秩序から問題が生じるんじゃないということ。むしろまったく無知だったり無秩序だったりしたら問題は生まれようもない。いろんな知識をもち、いろんな理論を引き受けるからこそ、問題は生じる。だから、別に奇をてらった言い方ではなく、学べば学ぶほど、よりたくさんのことがより鋭くより深く問えるようになる。
そういうこと。

(81ページより)

おわりに

ワナビとして、ジャンルを問わず学んでいこうと考えている私にとって、今回のお話は勇気を与えられるものでした。一寸先の闇に足を踏みいれる状態の続くこの道も、もしかしたら正しい方向に向かっているのかもしれないと思わせてくれました。

問いに問うことで描く螺旋。素晴らしいとらえ方だと思います。私もこの螺旋を信じて、例え遠回りでも確実に前進していきたいと思いました。

みなさまにも、この思考法を有効活用して頂けたらと思います。本日もありがとうございました。それではまた。

 

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生きてる内にあとどれだけ書けるだろう
同じ執筆量で、より巧く。

無思考で書くのは、ほんとうに勿体ない。
たった少しの意識で、あなたの小説はもっと良くなります。




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