『精霊の守り人』感想(新潮文庫/上橋菜穂子)

私が最も尊敬する作家は冲方丁先生なのですが、もう御一方、同じくらい尊敬している先生がいらっしゃいます。それが上橋菜穂子先生です。

代表作は今回ご紹介させて頂く『精霊の守り人』。綾瀬はるかさん主演で最近大河ドラマ化されたばかりですので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?

本作はドラマ化以外にも、アニメ化や漫画化もされている人気作になります。

ストーリーやプロット、人物の造形に至るまで極めて高水準の本作ですが、なかでも素晴らしいのは世界観と、その美しい描写力だと思います。

上橋先生は作家であると同時に、文化人類学者でもあられます。その知見を存分に発揮し、さらにその豊かな感性で描かれる物語が上橋先生の作風なのです。

あらすじ&おすすめポイント

本作の主人公は”女用心棒のバルサ”。女用心棒というワードですでに興味を引かれますよね。

すりきれた旅衣をまとい、頭陀袋を短めの手槍(短槍)にひっかけてかついだバルサは、しかし、眉ひとつ動かさずに、ゆらゆら揺れる鳥影橋を渡りはじめた。
バルサは今年三十。さして大柄ではないが、筋肉のひきしまった柔軟な身体つきをしている。長い脂っけのない黒髪をうなじでたばね、化粧ひとつしていない顔は日に焼けて、すでに小じわが見える。
しかし、バルサをひと目見た人は、まず、その目にひきつけられるだろう。その黒い瞳には驚くほど強い精気があった。がっしりとした顎とその目を見れば、バルサが容易に手玉にはとれぬ女であることがわかるはずだ。——そして、武術の心得のある者が見れば、その手強さにも気づくだろう。

(14ページより)

冒頭でのバルサの人物描写です。

本作の文体は完全な三人称(神の視点)です。この描写では、まず神の視点での事実を並べ、最後には”バルサを見た人” 、”武術の心得のある者” と世界に実在する人の視点を、神の視点を介して見せることで、説得力を持たせながらバルサという人を表現しています。

物語は、川に落ちた幼い少年を、バルサが救ったことをきっかけに始まります。実はその少年は、今回舞台となる”新ヨゴ国” の皇子だったのです。チャグムという名のこの皇子、なんと父親である帝に命を狙われているというではありませんか。

なぜ帝が実の息子を亡き者にしようとするのか? それはチャグムがその身に”精霊の卵”を宿してしまったからでした。新ヨゴ国では皇族はなにより清い存在です。ですから皇子であるチャグムが精霊などに取り憑かれてしまったことを、帝は看過することはできませんでした。

皇子の母である二ノ妃は、用心棒バルサとの出会いに運命を感じ、バルサに息子を預けることを決心します。このシーンのバルサと二ノ妃とのやりとりも秀逸ですので、ぜひ注目して読んでみてください。

わけもわからないまま母親と引き離されたチャグムは、バルサに連れられて追っ手から逃げる旅に出ます。皇子であるチャグムにとって外の世界はすべてが初体験です。そしてバルサにとっても、幼い子供を守り、かつ育てていくというのは初めての経験になります。

皇子のくいしばった歯のあいだから、嗚咽がもれはじめた。
「人の運命なんて、わからないもの。生きのびれば、いつかまた、母君に会える日がくるかもしれない。死ねば、それっきりだ。——わかったかい? チャグム」
チャグムは、きりきりとくいしばった歯を鳴らして、バルサを見あげた。そして、流れる涙をむちゃくちゃにぬぐいながら、かすかにうなずいた。
(この皇子には、気骨がある)
バルサは、ほほえんだ。そして、チャグムの背を押して、むうっと硫黄の匂いのこもった、湯の排水溝を利用した抜け道に、足を踏みいれていった。

(44ページより)

果たしてバルサはチャグムを守り切ることができるのか? そしてチャグムの宿した”精霊の卵”の正体とは?

というわけで本作、私的にはほんとうにおすすめの一冊です。美しい世界の描写や、物語を通した細やかな心情表現などを味わいながら読んで頂きたいです。私は最近、速読もどきで分析的にばかり小説を読んでいたのですが、本作は読み返しているうちに意図せず味読になっていました。久々に心底小説を楽しんだ気分です。やはり小説は楽しむのが一番だとあらためてわかりました。(かといって分析的に読むのをやめるわけにはいかないのが辛いところです……)

それではここから先は、作家志望者視点で、本作の印象的な部分を挙げていこうと思います。

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食べ物の描写力が素晴らしい

本作の魅力はなんといっても、上橋先生の羨ましいほどの感性によって描写される美しい世界です。自然の描写ももちろん素晴らしいのですが、なかでも目を引くのは食べ物の描写です。生き物と食事は切っても切れぬ関係にあります。本作は食べることを通して、生きることを見事に表現されているように思えます。

ひとつ例を挙げます。

白木のうす板をまげてつくられている弁当箱の蓋をとると、良い匂いが立ちのぼった。米と麦を半々にまぜた炊きたての飯に、このあたりでゴシャと呼ぶ白身魚に甘辛いタレをぬって香ばしく焼いたものがのっかり、ちょっとピリッとする香辛料をかけてある。いい色につかって漬け物もついていて、なんともおいしそうだった。
おそるおそる箸でつっついてから、チャグムはほんのすこし、魚と飯を口に入れた。チャグムの目がまるくなった。

(76ページより)

いかにもおいしそうじゃないでしょうか?

まず弁当箱の描写から始め、匂い、材料、香辛料の味を感覚的に、最後に色。おまけに漬け物。あたかも弁当がそこにあるかと感じさせるような表現です。

”ゴシャ” など、この世界独自の食べ物が登場するのも特徴です。白身魚と言われれば大体は予想できるけど、でも読者にとっては未知の食べ物です。絶妙に読者の関心を引くことに成功していると思います。

本作に限らず、上橋先生の作品にはその世界の食べ物を見事に造り上げて描写するシーンが数多く見られます。そういう部分にも着目して読んで頂けたら、よりいっそう世界に入り込んで物語を楽しめるのではないかと思います。

バルサとチャグムの関係

二人が出会ったのはバルサが30歳、チャグムが10歳そこそこといった年齢のときです。バルサが二ノ妃から引き受けたのは、チャグムの”一生を守る” ことでしたので、バルサにとってチャグムは護衛の対象でありながら、保護の対象でもあります。

ふたりの関係をひと言で表すことはできませんが、間違いなく親子のようなつながりがありました。

ずっと戦いの中に身を置いてきたバルサにとって、幼い子供を預かるというのは初めてのことです。それでもどっしりとした心持ちで、チャグムを導いていくシーンが多くありますから、バルサの人生経験は伊達ではありません。

かといってバルサが完全に”与える側”というわけではありません。バルサもチャグムと過ごすことで確実に学んでいくのです。バルサがチャグムから受け取るものが何なのか。ネタバレにもなるのでここで明かすわけにはいきませんが、それはバルサという人間が人生を通して抱えてきた、後ろめたさのようなものから救うための一手になります。

一方のチャグムは生まれてからずっと王宮で過ごしてきた箱入りです。突然外の世界に放り出されて戸惑わないはずがありません。外では、皇子として振る舞うのが当たり前だった頃と同じではいられません。

最初のチャグムは皇族らしい、横暴ともとれる言動行動が目立ちます。しかしバルサに導かれ、何よりチャグム生来の気質によって、目に見えて変わっていきます。そして外の世界に馴染み、バルサと過ごし、身に宿した卵とも向き合うことで大きな成長を遂げるのです。

物語を通して変わっていく二人の関係にも注目です。

おわりに

久しぶりに読み返してみてやはり良い作品だなと思いました。世界に入り込んで楽しめる作品を自分も書いてみたいと思った次第です。そのためにはやはり語彙力と、それを使いこなすだけの感性や文章力、修辞学などをもっと学んでいかねばなりませんね。

それでは末尾には本作で私の印象に残ったシーンを載せさせて頂きます。

本日もここまで読んで頂きありがとうございました。それではまた。

 

 

『精霊の守り人』はアニメ版とドラマ板もおすすめです。アニメ版は原作に忠実ですが、加えてオリジナルの話も多数出てきます。ドラマ板は原作へのリスペクトを忘れない程度に所々手を加えながら制作されたといった印象です。(これは私の主観ですので、お買い求めの際は自己責任でお願い申し上げます)

※お買い求めの際は、DVDとBlu-rayのお間違えのないようお気をつけ下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

歩き慣れていない皇子さまだ。死ぬほど疲れ切っているのだろう。
「ほれ、おぶさってやろう」
背をむけて待ったが、チャグムはいっこうに乗ろうとしなかった。
「どうしたんだい? 早くおぶさりなさい」
「お、ぶさる、とは、どういうことか?」
「あ、……はあ、なるほどね」
母君や乳母に抱かれることはあっただろうが、それ以外は輿かなにかに乗せられてすごしてきたのだろう。
ふいに、バルサは、この少年があわれになった。これまで泣かなかっただけでも、ずいぶんと気丈な子だ。
〈中略〉
チャグムが歯を食いしばったのがわかった。必死で涙を見せまいとしているのだ。バルサは、さっとチャグムをつかむと、くるりとまわして、まるで赤ん坊でもあつかうように、かるがると背負ってしまった。
「こうすりゃ、すこしはあたたかいだろう? ——眠っちまいな」
バルサは短槍と荷をチャグムの尻の下にあてがって、歩きだした。はじめは、かたかったチャグムの身体が、やがて、やわらかくなった。重みをすべてバルサの背にあずけ、頬をバルサのうなじにつけている。寝込んでしまったのだ。
(……ああ、ちくしょう)
バルサは、心の中でため息をついた。とんでもないことに巻きこまれてしまったものだ。

(69,70ページより)

物語の始まりと変遷への予感。

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