小説家になるための「一万時間の法則」。私が電撃大賞を獲るための指針

みなさんは「一万時間の法則」をご存じでしょうか?

これは、どんな分野でも一万時間の修練を積めば一流になることができるという法則です。
一万時間。途方もない数字にも思えますが、一流になるための目安となってくれるのなら有り難いのではないでしょうか? ゴールの見えない道を行くのは精神的に辛いものがありますしね。

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今回はプロの小説家志望の目線でこの「一万時間の法則」を考えてみようと思います。

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「一万時間の法則」達成のための一日の練習量

一万時間と言われてもピンとこないと思いますので、もう少し細分化してみます。
一日9時間修練に励んだとして、一年で3285時間となります。
これを三年続けて9855時間ですから、「一万時間の法則」を達成しようと思ったら一日9時間の修練を三年(+約半月)続けて達成できる計算になります。

とはいっても一日9時間を確保するのは、なかなか現実的ではありません。
一日中小説のことだけを考えていられたら、そんな幸せなことはないのですが、現実はそうはいかないですよね。
それこそ専業のプロ作家にでもならない限り、仕事や勉学に時間を取られていては一日9時間の確保は難しいでしょう。

私事で恐縮ですが、私の生活の場合を考えてみます。

まず私が平日で確保できる時間は現状3時間です。
この3時間は朝に設けています。
午前3時半起床。出勤が7時頃ですので支度の時間を差し引いて約3時間となります。
(夕方以降は睡眠の質の向上だけに注視しています。仕事からの帰宅後に作業していた時期もあったのですが、明らかに朝より集中力が無く、効率が悪いので開き直ってやめてしまいました。)

加えて休日に10時間確保したとしましょう。(現状はこの半分程度しか集中力が持たないのですが、時間的には確保可能であります)

一週間の合計は以下のようになります。
平日:3時間×5日=15時間
休日:10時間×2日=20時間
週35時間の計算になりますね。

一年は約52週ですので、私の場合は一年で1820時間
……ということは「一万時間の法則」達成のためには約5年半かかることになりますね。

みなさんも一つの目安として、ご自分の生活サイクルと「一万時間の法則」を照らし合わせてみてはいかがでしょうか?

それにしても平日3時間、休日10時間をコンスタントに続けたとしても5年半ですか。
先は長いですねぇ。かなりの長丁場を覚悟しなければならないようです。
とはいえ、私は残りの人生全て書くことに捧げると決めていますので、時間自体は大した問題ではありません。

やはり問題は確保した時間の質だと思うのです。

”一万時間”に充てる時間の質

小説家志望に求められるのは”とにかく書くこと”
書いて書いて書きまくって、新人賞に投稿し続ける。そうすれば自然と技術は向上するし、いつか受賞に至ることができる。

こういう考えの方は多いと思いますし、それは正しいと私も思います。先日記事にした電撃大賞受賞者からのアドバイスでも、”とにかく書くこと”は”好きなことを書く”ことと並んで、多くの受賞者が大切だと口にしていたことです。

しかし一方で、ただ闇雲に書き続けたとしても進歩は無い、もしくは効率が悪いのではないかとも思います。

「一万時間の法則」とは言っても、その”一万時間”をどう使うかによって結果が大きく変わるのは当然のことではないでしょうか?
人生においては一秒一秒が極めて貴重です。一万時間ともなれば、間違ってもそれを無駄にすることはできません。

というわけで、小説家としての”一万時間”の使い方を考えてみようと思います。

”とにかく書く”の2つのデメリット

ここで言う”書く”は投稿作品のことです。
新人賞への投稿作をひたすら書き続けるという時間の使い方は果たして正しいのでしょうか?

もちろん小説家になるための努力として、何が正しくて、何が間違っているかという答えはありません。

ただ、私個人の考えを述べるのであれば、投稿作品のみをひたすら書き続けるという方法は効率がよろしくないのではと思います。

私たちの目標は新人賞の獲得です。
そのために必要な要素を以下のように考えます。

  • 面白い作品を書くこと
  • 受賞するまで投稿作品を書くこと

新人賞は運の要素も絡んできますので、とにかく数を撃つことも大切です。

しかし大前提となるのはやはり、”面白い作品”を書くことです。
それを満たして初めて、ひたすら投稿作品を書き続けるべきと思います。
下手な鉄砲はいくら撃っても当たりません。まずは自身の技能を向上させることに尽力するべきではないでしょうか?

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つまり私は投稿作をひたすら書いても、面白い作品を書くことには繋がり辛いと思っています。

そう考える理由は以下の2点です。

  1. 一つの物語を書いているのでは、フィードバックが少ない。
  2. そもそも自分一人で見いだす”気づき”には限界がある。

それぞれ詳しく話していこうと思います。

1.投稿作品ではフィードバックが乏しい

皆さんは投稿作品を一つ書ききるのにどれくらいの時間を要するでしょうか?
私は参考になるほど作品を書いたことがありませんが、現状では少なくとも2,3ヶ月はかかります。

テーマや設定、プロットから考えて執筆。そして推敲……。
どんなに速筆な方でも1ヶ月はかかるのではないでしょうか?

例え1ヶ月で書き切れたとしても、それは一万時間においては大きな1ヶ月です。
果たしてこの1ヶ月で私たちは何を学べるでしょうか?

ひたすら書いていれば、自然と文章力が上がっていきますし、書くことに慣れてくるのも事実です。
しかし”自然”に任せた技術向上では足りないのではないでしょうか?
”自然”とは、言い換えれば”何も考えていない”ということです。

私が投稿作品で学べること、つまりフィードバックが少ないと考えるのは、
「同じテーマ、設定、文体で書くことに時間をかけるのは効率が悪い」と思うからです。

技術向上のために必要なのは、自分の作品の欠点や弱点に気づき修正していくことです。
投稿作品の場合、同じスタンスで1ヶ月以上書き続けるため、必然的に気づける欠点や弱点にも限りがあります。
加えて、書き切ってから推敲するというスタイルだった場合、欠点や弱点からのフィードバックが成されるのはかなり時間を空けてからということになってしまいます。

自分の作品の至らない点を把握せずに成長は有り得ません。
その点において、同じスタイルで、しかも一つの作品に時間をかけ過ぎる投稿作品は、成長を促すという面では非効率的と言わざるを得ないと思います。

2.一人きりでの”気づき”の限界

先ほど述べたように、学習とは欠点や弱点を把握し、上手くフィードバックすることです。

欠点や弱点の把握、つまり”気づき”を得とうとしたとき、そもそも一人の視点では限界があります。
もちろん天才的な感性を有している方であれば話は変わっていますが、そんな方ばかりではないのが現実です。少なくとも凡才の私にとって、自分の欠点や弱点を俯瞰的に”気づく”ことはとても難しいことです。

闇雲に一人で投稿作品を書き続けたとしても、自分の現在地点を知る能力が不足していたら何の意味もないと思うのです。

”面白い作品”に近づけるための”一万時間”の使い方

それでは具体的にどのようにしたら”面白い作品”を書けるような技術や感性を手に入れられるのでしょうか?

何度も同じ事を言って恐縮ですが、成長に必要なのは自らの欠点と弱点を把握し、それを修正していくことです。
これを考慮して、みなさんがどんな作品を書きたいのかを考えてみて下さい。

私が書きたいのは「テーマを重視し、それをライトノベルのエンターテイメント性で表現する作品」です。
この理想を実現しようと考えたときに求められるスキルと、それを得るために必要なことは以下のようになります。

  • 様々なテーマをモチーフにするため、あらゆる知識を身につける。また、その知識から創作するための感性を育てる。→小説や専門書を読みまくる。
  • テーマをエンターテイメント的に表現するために、作品ごとに適した文体で書けるようにする。→長編ではなく短編を実験的に書きまくり、それを第三者に読んでもらって感想をもらう。

あらゆる本を大量に読むこと。そして、短編を実験的に書くことによって、多くのフィードバックを得ること
私はこの2つに”一万時間”の大半を充てようと思っております。(もちろん投稿作品も書きますが数は少なくする予定です)

みなさんも自分の書きたい作品はどんなものなのかを今一度思い出し、それに合った”一万時間”の使い方を考えてみて下さい。

おわりに

というわけで今回は一流になるための時間は”一万時間”。そしてその”一万時間”の使い方はよくよく考えるべき、というお話しでした。

私たちの時間は限られています。
そんな中でプロの小説家になると決めたのですから、お互い悔いのないよう努力していきましょう。

それではここまで読んでいただきありがとうございました!

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