【評価シートオール3】オーバーラップ文庫大賞一次落選作を公開します

ちょうど大胆な回し蹴りを見舞ったイーファが、一瞬こちらに目配せした。呼応石からは抱擁するような魔力のぬくもりが伝わる。明らかにエンナの機微を感じ、気遣っての行動だった。

(イーファのやつ、余裕だな)

苦笑をこぼしながら、あのふたりの未来には自分も寄り添えるのだと思い至る。

「そのためにも、少々足掻いてみるかな」

間もなく陣が完成する。そしてそれは同時に、天魔との決着を果たしてアンガスとの戦いが始まることを意味していた。

イーファとアンガスと一緒にいられる時間を大事に思う自分がここにいる。だから頑張ろうと思った。今日の意志が、明日に繋がることを強く願っていた。

空に八つの巨きな陣が姿を現す。その陣は八面体の箱を作り上げ、そしてそのうちの一つがふたを開いたような形を取っている。

「イーファ! アンガス!」

その名を呼んだ。そうするまでもなくすでにふたりが動いているのは分かっていたが、声にせずにはいられなかった。

アンガスが陣の箱に向けて天魔を殴り飛ばした。間髪入れずに今度はイーファが踵落としを見舞う。交互に打撃するだけという単純な攻撃だが、天魔にこれを防ぐ術は無い。重い打撃音が幾度となく空に響く。

「イーファ、仕上げだ!」

「了解ですっ!」

最後はふたり同時に大きく拳を振り上げ、思い切り殴りつけた。

天魔の巨体がエンナの造った陣の箱に飛び込んで地響きを立てた。その瞬間にエンナは陣の操作を始める。

位相の変更を可能とした演算で組んだ、箱のふたの部分となる陣を動かす。ゆっくりと塞がれていく退路に向かって天魔が飛ぶが、陣のふたが閉ざされる方が早かった。

見事に箱の中に捕らえられた天魔が暴れ回り、陣を破壊しようとするが陣はびくともしない。エンナの作り得る最大強度の陣だ。逃れられるはずも無かった。

天魔が咆哮を上げてエンナをまっすぐに睨み付けた。エンナはそれを端然と受け止める。

「これで終わりだ」

エンナの右手に更なる光が灯る。

次の瞬間、箱を成す八つの陣が収縮を始めた。陣の位相変換と面積変換を八つ同時に行うという高等技術によって実現することのできる荒技だった。

みるみる縮んでいく陣の箱に、天魔は為す術無く押しつぶされていく。陣の圧が、腕を、脚を、首を、尾をあらぬ方向にひしゃげながらその巨体を押しつぶしていく。

徐々に落ちつぶされて小さくなっていく天魔の姿を誰もが見守った。

断末魔を上げたのが最期だった。

虚しく響いた咆哮が尾を引き、空に静寂が訪れる。

それを破るように歓声が上がった。天駆たちが続々と勝利に拳を天に突き上げ、応えるように天狼たちが遠吠えした。

「やりましたね」

「だな」

エンナは隣にやって来たイーファと感慨深げな空気に浸るが、もちろんいつまでもそうしていることはできない。

「エンナ」

背中に投げかけられた声に、アイオンの背から降りたエンナはゆっくりと振り向く。

果たして、出会ったときと同様の悠然とした姿でアンガスは大空にいた。しかし出会った頃とは違い、リリーホワイトの髪から覗く空色の瞳は多分に柔らかさを含んでいて、なのに確固たる決意をこちらに向けていた。

息を呑む。ついにこの時が来たのだと漠然と感じた。

「アンガス、俺は俺たちの明日を信じてる」

「おまえは優しいな」

自然と口を突いて出た言葉に、アンガスは寂しげな笑みを浮かべる。やりきれない気持ちになった。誰よりも優しいのはおまえだと言ってやりたかったが、今そうすることに意味は無い。言葉は十分すぎるほどに交わしたはずだ。それでも互いのすべてを共有するには至らない。どこまでいっても言葉は言葉でしかなく、例えどんなに大切な人であってもふたりは違う人でしかなかった。

だからぶつかるしかない。その先に何があるのか誰にもわからないとしても。

祈るように、そして耐えるようにイーファが胸の前で掌を握りしめ、もはや静観の決意を固めて二人を見守っていた。

勝利の高揚の中に異質な空気を感じた天駆たちが何事かとエンナたちを見た。事情を知っているウォルスたちは真剣な眼差しを向けている。

示し合わすようにエンナとアンガスの視線が交錯する。永遠とも感じられる時があった後、アンガスがすっと息を吸った。

「来い! おまえはおまえの大切なものを守ってみせろ!」

それを合図にエンナは辺り一帯に一斉の陣を張った。駆けだした。アンガスに拳を向ける。

それを避けることなく腕で防いだアンガスが間髪いれずにエンナの頬に殴りかかった。

瞬時にエンナの指でアースブルーの光が灯り、襲い来る攻撃を阻むように小さな陣が形成された。陣にアンガスの拳が触れた瞬間、みしりと陣のたわむ音が聞こえた。エンナが咄嗟に身をかがめたときには破砕音が鳴り響き、空気をえぐるような打撃が髪を掠めている。

肝を冷やしたのも束の間だった。

かがんだ体勢の視界に、凄まじい鋭さで異物が割り込む。その間になんとか腕を割り込ませ、同時に後方に向かって跳んだ。

「ぐっ……!」

腕を貫く威力の蹴りに頭を跳ね上げられ、上空に吹っ飛ばされていた。しびれる腕の隙間から眼前を窺う。一直線にアンガスが向かってきている。

幾重にも陣を張ってその行く手を阻もうとしたが、アンガスはするすると陣を躱し、ときには打ち砕きながら猛然と迫っている。

未だ後方に飛ばされ続けているエンナと並ぶようにアンガスが飛行する。

間近に見た空色の瞳から、もはや感情を読み取ることはできない。極限までに集中を高めた、真剣そのものの面だった。

高速移動の最中、アンガスが拳を振りかぶる。

エンナもまた、防御の陣を造りにかかった。アンガスの体勢と挙動、視線、そして思考をことごとく推測する必要があった。ひとつの間違いが命取りとなるのは明白だった。

胸元への攻撃が来ると即断する。

攻撃が届くまでの時間で形成しうる最大強度の陣を胸元に張った瞬間、それがアンガスの重い一撃に呆気なく砕ける。なんとか身をひねって急所を躱したエンナの右肩に鈍痛が走った。

骨を砕かれたのではないかとう衝撃に顔を歪めながら、今度は斜め下に向かってはじき飛ばされる。それをアンガスはなおも追撃する。

このままされるがままでは敗けは明白だった。

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