空中で身をひねると、落下の力を重ねた回し蹴りを放ってくる。
こんなものが通用するとはウォルス自身も思っていないはずだ。エンナは不思議に思いながらも素直に防御の態勢に入る。
打撃。何の変哲もない蹴り降ろしに腕のしびれを感じながら、それでもエンナは警戒を解いていない。ウォルスの次なる一手に備える。
ウォルスがおもむろに掌を突き出した。指の魔導具にローズレッドの光が灯りる。
一瞬、陣を張るのだと思われたが、どうも違うようだった。その掌はエンナの足下の陣に向けられている。
得体の知れぬ行動に戸惑っていると、にわかには信じられぬことが起こった。
「なっ……!?」
陣に浮かび上がる光の演算式は、その陣を形づくり、そして特性づけるものであり、魔技師たちが魔導具に組み込んだものだ。天駆は魔導具に魔力を込め、この演算式を具現化する。複雑な演算組み込んだ魔導具を扱うには当然、相応の実力が必要となる。
陣の色は魔技師によって異なり、エンナの魔導具はすべて同じ魔技師によってつくられおり、アースブルーの光を灯すのだった。
今、エンナの足場となっている陣も当然ながらアースブルーだ。しかし、なんとその一部に変化が現れていた。
演算式の一文字が滲み始めたかと思うと、文字そのものが別の文字へと形を変え、同時にローズレッドの輝きを見せ始めた。
破砕音が響いた。
演算の破綻したエンナの陣が砕けた音だった。
(陣の書き換えか……!)
並大抵の技術ではない。陣の演算式に精通し、陣に込められた魔力を上回り、さらにウォルスはそれを戦闘の中で成した。まさに驚愕に値した。
体勢を崩して落下を始めるエンナをウォルスは見逃さない。まず自分の足下に陣を張って着地する。次いでエンナに向かって掌を突き出したと思ったときには、陣の発動は始まっていた。
エンナを取り囲むように、ローズレッドの光が陣を形作ろうとしている。体勢を崩されたエンナは再度足下の陣を張るが間に合わなかった。
アースブルーの陣に着地したときには、すでにいつくものローズレッドの陣に囲まれてしまっていた。陣の檻さながらだった。
「しばらくは消えない。そこで大人しくしているんだな」
淡々と言ったものだった。逸脱した技術をいとも簡単にやってのけたくせに、優越じみたものを微塵も窺わせない。
(かっこいいなぁ)
一杯食わされたというのに、エンナは純粋な羨望を抱いている。
だがいつまでも呆けているわけにもいかない。陣の檻から脱出するべく、ウォルスと同じことをしようと試みる。
陣の書き換えを行うために、ウォルスの張った陣の演算を分析しようと目を凝らす。
「これは……」
理解できなかった。特性としては単純な陣のはずなのに、冗長に複雑な演算で編んだ陣だった。
「書き換えはできんよ。いくらおまえでも、それを一瞬で解析するのは不可能だ」
言い捨てるように背中を見せたウォルスを、エンナは陣で捕らえようと思ったがすぐにその考えを捨てた。苦し紛れの攻撃が通じる人ではなかった。
去って行くウォルスをただ見送るしかなかった。それでも悔しさよりも、目指すべき人がいることへの喜びの方が強かった。知らずのうちに表情が緩む。
「情けない姿だな、おい。しかも何だそのツラは」
いつのまにか陣の檻の外側にアンガスがいた。わざとらしい呆れ顔とともに、みよがしに溜め息を吐く。
「リオンさんは?」
「逃げた。約束通り、多少は足止めしてやったぜ?」
「そうか」
「で、おまえは?」
「見ての通りだ」
「だな」
アンガスが楽しげに笑う。エンナは仏頂面でそっぽを向いた。
「このままにしとくのも面白いが、あまり遅れるとイーファの奴がすねるからな。さっさとそこから出ろエンナ」
アンガスが檻を成す陣のひとつに向けて手を伸ばす。そのまま人差し指で軽く陣を弾いた。
途端に陣に亀裂が走る。
「もろいな」
「でたらめなやつめ……」
行くぞとばかりに、アンガスは小さく首を振って顎でイーファたちのいるであろう方向を指す。
エンナは嘆息しながらひびの入った陣を足裏で蹴りつけた。
「今更行ったところで、もう勝てねぇよ」
ローズレッドの陣は、たやすく砕け散った。
「……おまえ、覚悟しとけよ。そろそろイーファが怒る頃合いだぞ」
憐れむような声音で放たれたアンガスの言葉の意味がわからず、エンナは首を傾げながら陣の檻から脱出したのだった。