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夜の街並みを二人並んで歩く。
二人の他に人通りのない煉瓦道を、家々からこぼれる灯りがほんのりと照らし出す。夜の冷気が鼻を抜けて頭が冴え、肌寒さを心地よく感じた。
隣を歩くアンガスは、どこから持ち出してきたのか、酒壺を提げている。
「……イーファが正しいんだろうな」
呟くように言った。
「まあな」
少しだけ間を空けて、簡潔にアンガスが応える。ちらりとこちらを見やり、歩みは止めることなく更に続けた。
「ただ、イーファは極端だからな。誰もがあいつのように考えられるわけじゃねぇよ」
「イーファのように……」
正義の生き物。常に正しくあるイーファの姿勢は、思い悩むのを常とするエンナには眩しいものだ。あんなふうに強く在れたらと思わずにはいられない。
「俺はあいつのようにはなれない」
半ば諦め、そしてそれに失望していた。
だがそれを否定するようにアンガスが首を振る。
「……おまえはなにか勘違いしてるようだな。俺から見れば、おまえもイーファも大差ないと思うぜ?」
訊ねるように言う。いつもの意地悪さは微塵もなかった。淡々とした言葉で、果たしてエンナに何を問うというのだろう。
「数秒前の発言と矛盾しているぞ。イーファのようにいられるやつなんて、他にいないんだろ?」
「いないなんて言ってねーだろう。稀だって言ったんだ。でも、おまえは間違いなくその部類だよ、エンナ」
アンガスが言わんとすることをエンナは計りかねている。自分とイーファが似ているとは、どうしても思えなかった。
「だったら喧嘩にはなってないと思うんだが……」
「方向性が一緒ってだけだからだ。言ったろ、イーファは極端だ。生まれ持っての性なんだろうが、あいつは誰よりも正しく在りたいと思ってるからな。間違ったことを許容できない。結果の出る前に戦いを諦めたおまえを許せなかったんだよ」
すべて理解したようにアンガスは言う。事実そうに違いなかった。アンガスはちゃんとイーファの兄だった。
「ま、おまえに怒るのは同族嫌悪だ」
「同族……ねぇ」
「そして喜べ。あいつが怒るのは、おまえに心 を許しているからだ。大切だと思っているから、自分の在り方をおまえに押しつける。要はおまえに甘えてんだよ」
「そうは見えなかったがなぁ」
「証拠に、初めて会ったときもおまえは生きることを諦めようとしてやがったが、あいつは別に怒っていなかっただろ?」
アンガスとそしてイーファに助けられた時のことを思い返す。たしかにあのときのイーファは怒りを露わにすることなく、エンナが助かったことをただ喜び、優しく笑んでいた。
あれからまだ数日だ。何が変わっただろうと思う。短いながらもともに過ごした時間と、交わした言葉と約束とが、自分とイーファを近づけてくれているのなら嬉しいことだと感じた。
「まあそういうことだ。おまえが望むなら、ほっとけば仲直りできるさ。……さて、到着だ」
アンガスが楽観的で無責任な発言で話を閉じた。
気付くと周りの景色は移り変わっている。街の離れにある自然公園にいた。
植えられた草花や木々が風に揺れて葉音をたてる。池には月が揺れていた。人工的な様相は薄く、それこそ自然であることに重きを置いて造られた公園だった。
そのなかに一際目立つ樹がある。
節くれ立った立派な幹は鮮やかなモスグリーンの苔を纏い、人が十人で手を繋いでも抱えきれないほどに太い。そこから伸びる枝の葉たちが月光を照り返して輝いていた。
「登るぞ」
言うやアンガスは幹に手をかけ、跳ぶようにして登っていってしまう。酒壺を手にしているため、片手での木登りだった。
「一体なんなんだ……」
呆れながらも、みるみる小さくなっていくアンガスを追ってエンナも登り始める。何故か飛ぶことをしなかったアンガスに倣って陣は使わなかった。
ほとんど頂上にある太い枝に腰掛けているアンガスを見つけ、隣に腰掛ける。
「この年で木登りするとは思わなかったよ」
皮肉交じりに言ってやると、アンガスにしては珍しく無邪気に笑いかけられた。
「たまにはいいだろ? この樹、初めてこの国に来たときに上空から見えてな、ここからの景色を見てみたいと思ってたんだ」
「自力で飛べるやつが今更なに言ってんだか」
「そう言うなって。地に足つけて見たい景色ってもんがあるんだよ。ーーほら飲め」
懐から取り出した二つの小さな盃に並々と酒を注いだアンガスが、そのひとつを差し出してくる。
「俺は飲まない」
「飲めないのか?」
「……飲んだことがない」
仲間同士で楽しげに酒盛りする天駆たちを目にしたことはあるが、チームを持たないエンナには無縁の光景にすぎなかった。必要に駆られることこともなかったから飲んだことがないし、飲んだことがないのだから嗜好品として酒を楽しむことも当然なかった。
「んだよ。飲まず嫌いかよ。いいから飲んでみろ、こいつは高級な酒だぜ?」
美味そうに酒を呷るアンガスの薦めを頑なに拒む理由もなかった。それに、月明かりの下で星を眺めながら酒を飲むのも一興かと思った。
杯の中で揺れる透明な液体を見つめ、アンガスを真似て一息に呷った。
一瞬にして口の中にアルコールの刺激と香りが広がり、それが鼻腔を抜けた。
「う……げほっ、ごほっ」
体験したことのない味覚に驚いて、慌てて喉の奥へかき込むとむせ返ってしまった。熱の塊が喉を通り過ぎていったようで、その熱がひりつく小さな痛みとなって残った。
「なんだ……これ」
涙目になって咳き込むエンナをアンガスは可笑しそうに眺めながら、自分は二杯目を注いでいる。