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アンガスと分かれて自室に戻ろうと城内を歩いていると、フィオナと出くわした。きっと偶然ではない。エンナを心配して様子見に来てくれたのだろう。
「アンガスくんとはちゃんと話せたかしら?」
まったりとした口調でフィオナは訊ねる。
「いろいろ話したよ。俺や姉さんのこと、もちろんイーファのことも」
「そう。よかった。……あら?」
突然フィオナがエンナの頬に手を伸ばして触れ、さらに顔を近づけてくる。
「な、なに?」
「お酒の匂いがするわ」
すんすんと鼻を鳴らし、顔を近づけたままエンナの瞳ををのぞき込むようにして見た。
「アンガスくんと飲んでたの?」
「少しだけ、ね」
別に後ろめたいことがあるわけではないのに、なんだか気恥ずかしくなってエンナはフィオナの視線から逃れた。そんな様子が可笑しかったのかフィオナはくすくすと笑う。
「今まで全然飲もうとしなかったのに、友人の力は偉大ね。なんだか妬けちゃうわ」
「やめてくれよ。別にあいつにほだされたわけじゃない」
「相変わらず素直じゃないのね。でもよかったわ。憑き物の落ちた顔してる」
「あいつと話してたら、うじうじ考えるのが馬鹿らしくなったんだ。……そういう意味では少しは感謝しないとだな」
「ふふ、そうね」
自分のことのように嬉しげにする姉の様子に、エンナも一層幸せな気持ちにさせられていた。
「じゃあまた明日。おやすみ」
「ええ、おやすみなさい。今度は私ともお酒を飲みましょうね」
「気が向いたらね」
照れてしまってつれない返答になってしまったが、そんなことはお見通しとばかりにフィオナはエンナの頭に手を置いて撫でた。
「楽しみにしてるわ」
ひとしきり撫でられた後、フィオナと別れて自室に戻ると、今度はイーファと会った。部屋の前で壁を背に佇むイーファは、落ち着かない様子でそわそわとしている。
「イーファ?」
エンナが声をかけるとイーファはびくりと肩を跳ねさせた。エンナの姿を認めるや、向かい会うように駆け寄り、視線を泳がせた後にしっかりとエンナと視線を合わせた。
「あの……ごめんなさい!」
張り上げるような声で言うや、深々と頭を下げた。髪がさらさらと肩を滑り落ちていくが、イーファは頭を下げたきり上げようとしない。
「エンナが悪いわけじゃないのは分かっているのですが、なんだか私、エンナには自分を押しつけてしまうようで……! せっかく力になって貰っているのに、勝手ばかり言ってほんとうにすみません!」
「わかったから顔を上げてくれ! あんたが謝ることじゃないから」
イーファのあまりに剣幕に、エンナの方がうろたえてしまった。
「でも……!」
顔を上げたイーファの瞳にはなんと涙がに滲んでいる。
「な、なんで泣くんだよ! 俺が悪かった! 次からちゃんとするから泣くな!」
どうしていいか分からず焦るエンナだが、それを見ていたイーファが小さく吹き出して笑い始めた。
「ふふ、ごめんなさい。エンナってすごく冷静沈着な印象だったから、そういう姿は新鮮ですね。可愛いです」
「可愛いと言われるのは複雑だな……」
「褒めてるんですよ? 私、まだまだエンナの知らない所たくさんありますから、もっとあなたを知りたいです」
「俺ももっとイーファのことを知りたい」
少し飲み過ぎたのかも知れない。恥ずかしい言葉がすらすらと出てきていた。でもだからこそ本心でもあった。
「イーファ」
「なんですか?」
「前の賭けで、俺の言うこと何でもひとつ言うことを聞くって約束したのを覚えているか?」
「も、もちろんです! なんでも言ってくれて構いませんよ!」
イーファが身構えるように姿勢を正す。声が少し上擦っていた。まだ無茶な要求をされると思い込んでいるようだった。
(信用されてるのかされていないのか、微妙なところだよな)
そんなことを思いながら、エンナは首に提げたふたつの呼応石の片方をおもむろに外した。
きょとんとするイーファに歩み寄り、呼応石を首にかけてやった。そのときに香ったイーファの甘い匂いに目眩がしたのはなんとか隠すことができた。
「エンナ? これって……」
「あんたに持っていて欲しい。これが俺からのお願いだ」
言い終わらないうちに、またイーファの目に涙が浮かんだ。
ぎゅうと呼応石を握りしめた後、
「エンナっ!」
「なっ……!」
跳びつくようにエンナに抱きついた。
とっさに受け止めたエンナだったが、空の手をイーファの背に回して良いものか逡巡してバンザイするという情けない格好になってしまった。
そんなことはおかまいなしにイーファは抱きつく力を強める。
「ありがとうございますっ! 私、頑張ります!」
感極まったように感謝の言葉を口にするイーファの頭に、エンナはぎこちなく手を置いた。もう片方の手はぶらりと降ろしたまま、ついにイーファを抱きしめ返すことはできなかった。
「ふたりで頑張ろう。ーーアンガスを助けるぞ」
確固たる決意を込めて言うと、イーファは抱きついたまま顔を上げ、まっすぐにエンナを見つめてしっかりと頷いたのだった。