エンナは後方に陣を張ってそこに着地を試みる。斜めに張った陣に足から降り、全身のばねを総動員して衝撃を殺す。
全身が軋むような痛みに耐え、屈んだ体勢から今度は逆向きに力を解放する。足の指先から足首へ、そして膝へと力を伝えて、向かってくるアンガスに向けて跳んだ。
不意を突かれたアンガスが僅かに驚愕を浮かべた。その頬にありたけの力を込めて拳を打ち込んだ。
確かな手応えと共にアンガスの頭が大きく振れる。なんとそのときにはアンガスの反撃が始まっている。
完全に崩された体勢にもかかわらず、アンガスは右腕を大きく薙ぐようにして振り抜いた。
攻撃直後のエンナには首を振って僅かに衝撃を逃がすのが精一杯だった。頬をえぐるように拳が届いた。もともと桁外れの膂力のアンガスだ。体重の乗っていない拳ではあったが、その衝撃たるや凄まじいものがあった。
一瞬にして頭が真っ白になる。遠のく意識を手放さぬように奥歯をかみしめて、アンガスを睨み付けた。同様の眼差しが向けられていた。示し合わせたように、一進一退の攻防が始まる。
幾重にも張った防御の陣、それでも押さえ込めぬアンガスの拳を腕で防御する。砕けた陣の残滓の向こう側にある、もはや見慣れた男の顔を眺める。
“俺を殺してくれ“
自ら悪を名乗り、初対面にしてそう言い放った。
“おまえのチームをつくれよ”
ずっと迷子だったエンナに、道を示してくれた。
“イーファを頼むよ親友”
なによりも大事なものを預けてくれた。
(どうしてこいつが死ななければならない?)
アンガスと出会ってから、いつだって棘となって心に刺さり、小さな痛みを与え続けてきた思いだった。
「アンガス……」
口にした友の名は戦闘の音にかき消される。
アンガスが鎌のような軌道で鋭い蹴りを放つ。無意識に張った防御の陣を破ってそれが頭部に直撃する。刈り取られそうになる意識の中、更なる攻撃に移行するアンガスをぼんやりと眺めた。
また、無意識に陣を張った。その破砕音と共に激痛が訪れる。
陣を張る。その身に攻撃を受ける。張る、受ける、張る、受ける。
それを繰り返す。
絶え間ないアンガスの連撃を、エンナは避けようとしない。
人並み外れた威力を幾度も浴びながらも五体を保ち、意識をつなぎ止めていられるのは、無意識に張り続けている防御の陣のおかげだった。
(俺は、どうしたらいい……?)
迷う心とは裏腹に、身体は生きようとしている。また、無意識が指輪に光を灯し、陣を張る。
「エンナっ!!」
攻撃の手を一切緩めることなく苛烈に呼ばれた名に、エンナは我に返った。
切とした表情のアンガスが視界に飛び込んできた。苦悶を振り切るように攻撃を続ける姿が、そしてその空色の瞳が責めるように告げている。
“おまえはまた立ち止まるのか?”
アンガスと、そしてイーファと出会って何が変わっただろうか。
ふと、そんな思いが湧いた。
明確な言葉にできないことをもどかしく思いながらも、何かが変わったという確信があった。だから、もう立ち止まるわけにはいかないと思った。
(俺はどうしたい?)
自らに問う。
そんなの決まっている。この世界で、この大空で自由に生きたい。そして、アンガスとイーファと一緒にこの空の中を駆け抜けたい。
(なんだ、難しく考えることなかったんだな)
起こってもいない未来に恐々とし、今を変えることに臆病すぎたのだ。そんな自分を二人は変えてくれた。世界はもっと簡単にできているのかも知れない。そう思うことでしか、前に進むことはできないのかもしれない。
(みんな幸せになれたほうが、良いに決まってるじゃないか)
失うことを恐れて現状に甘んじることにもいよいよ飽き飽きしていた。
(最良の未来を掴もう。こいつらといっしょに)
もやが晴れた気がした。全身を魔力の奔流が駆け抜けた。呼応石がかつてない輝きを放つ。この気持ちが呼応石を通じて、自分たちを見守っているイーファに届いていたら良いなと思った。
弾力性を演算に込めた陣を掌に位相固定して展開する。
迫っていたアンガスの拳を、おもむろに受け止めた。掌の陣がたわむことで、その強大な圧を完全に吸収している。
今度こそ、アンガスのおもてが驚愕に染まった。
いい気味だと思った。口の端をつり上げ、仕返しとばかりに意地悪く笑いかけた。まるでアンガスがうかべるような表情だったが、エンナはそのことに気付いていない。
「アンガス。決めたよ。俺は、おまえに勝つ」
粛々と、力強く告げた。
「エンナ、おまえ……」
呆気にとられたように口を開いたアンガスが、次の瞬間には笑みを浮かべていた。
「おもしれぇ。やってみろよ。“羽根のない者“の力、見せてみろ!」
掴んでいたアンガスの手を握り込み、自分の腕ごと小さな陣で包み込んで固定する。そうしておいて、逆の掌にも陣を展開し、それをアンガスにぶつけた。
爆ぜた。
起爆性の演算を編み込み、さらに自分が被害を受けぬよう爆撃が一方向にしか向かないようにしていた。
爆煙に包まれたアンガスが、拘束されていた腕を力任せに引き抜いて大きく後退した。
と、アンガスの背に突如現れた陣が行く手を阻む。次いで、無数の小さな陣がアンガスを取り囲んだ。瞬き、爆ぜた。
先程と同様の起爆陣だ。一瞬にして爆発に呑み込まれたアンガスだが、もちろんこの程度で倒せる相手でないことをエンナは理解している。
爆煙を突き破るようにして、アンガスが上空に飛び出した。
エンナはそれを予知し、先回りしている。
僅かに隙のできたアンガスに仕掛けた。
足場としていた陣を踏み抜いてアンガスの懐に飛び込む。そのまま殴りかかるが、驚異の反応を見せたアンガスが、わずかに身をひねることでそれを躱した。
崩れた体勢に追撃するが、重力に捕らわれぬ身軽さでそれすらひらりと受け流してしまう。
「アンガス、やっぱり強いなお前」
「なんだ? 俺に勝つんじゃないないのか?」
身を翻す動きの延長で放たれたアンガスの蹴りを、エンナは陣で受ける。蹴りによって陣が砕ける前に身をそらし、その軌道から逃れた。
「勝つさ。でもやっぱり空(ここ)では勝ち目がなさそうだ。ーー言ってる意味、わかるよな?」
「さぁ?」
おどけて見せたアンガスに、エンナは口の端をつり上げた。そしておもむろに掌を差し向けた。
「俺に羽根はないんだ」
艶然と笑んだ次の瞬間、エンナとアンガスを囲むように続々と陣が現れた。それら無数の陣が球体の箱を作り上げ、二人の視界は互いの姿を浮き彫りにするようにアースブルーの輝きに覆われた。